2020年7月10日

ATRI -My Dear Moments- 感想(ネタバレ)




冒頭はいつのどこなんでしょうね



どうとでも取れそうなあたりがちょっと素敵です。



ざっくり感想



個人的な好みで言えば95点でした。

物語を演出する各素材はとてもきれいでよく感動しました。立ち絵の表情豊かさ、イベントCGもきれいで、特に夕暮れどきの笑顔がキラキラしてて好きです。音楽もセンスよく彩り豊かにまとめられており、情景描写に関しては空気感がよく出ていてお気に入りです。UI関連もこれくらいでええのんな~と思う小綺麗さと、やっぱりタイトル画面がトゥルーエンド後に変わるのっていいですよねとしんみりしました。竜司の声がよすぎてソッコでシステムボイスにしました(神)。まだ聞いていなければ竜司を指名してタイトル画面へ死に急ぎましょう。

シナリオは思っていた以上のボリュームもあり、44日間での変化は様々で、メインヒロインであるアトリのいろんな感情を見ることができました。トゥルーエンドは何だか静かで甘酸っぱい感じだったので、OPを流すよりはしんみりした曲がよかったのではとかは思いましたが、よいバランス感覚ですっきり閉じてくれた辺りの満足感が高いです。続編の匂わせとかは疲れるので、アトリがいた45日間を作中で描ききってくれたのはかなり好感が持てました。


出会いの場所から街を救ったエデンまでという素晴らCG


販売形態・18禁要素の不在について



実際そうなるのは相当難しそうな(よく知らない)のですが、ノベルゲーは映画の2時間が拡大したコンテンツみたいに思っていて、今回の「ATRI」に関しては制作・コンテンツ・販売の形態としては理想形のひとつなのではなかろうかと思ってます。外国語対応は特に難しそうではありますが、もしこの販路が成立して様々なメーカーが出してくれれば、価格帯的にもボリューム的にも触れやすさは相当高いです。個人的にはSteamで保存・ダウンロード・各デバイスで起動できるのがめちゃくちゃ強いです。DMMとか使った方が国際情勢的にはいいのかもしれませんが(そうか?)。

大声では言えませんが、やっぱりエロゲにはエロがいらないやつもあったんだなぁという実感を強く得ています。エロがないという安心感はものすごいです。個人的にはシナリオ内の恋愛というのはキャラの自立・結びつきの両方を強くするものと思っていて、その過程や発展は人格にだけ結びついてれば満足なのです。その中での18禁要素というのは、大概の場合で上手に人格そのものへ結びついておらず、ただ何となく設置されてる感が5割を越えるとすぐ不快に感じてしまいます。『置き』のエロなら不要という訳です。


『置く』だけなら不要


そういうシーンに使うテキストとイベントCGを別に回してほしい、大抵の場合でかなり長尺なので前後のストーリーのつながりを大きく分断してしまう、そういうシーンの脚本・演出はシナリオ作成とまったく別の技能である、もし書くなら専門の人に分業してほしい、などなど…。さらにそういった方面を上手にストーリーへ絡めようとすると、そういった分野のコンテンツに出てくる登場人物のように、キャラクターの根幹や普段の興味や言動へ表出させる必要がある。必要なリソースはそういったシーン単体ではなく、シナリオ・キャラクター全体の構築にも関わって来る訳です。それを親近感・身近さ・現実感へのトリガーにするなど上手にやっている作品も見たことがあるような気もしますが、キャラゲー方面の要素が強い作品であり、シナリオともうまく絡んでいるのは一部のヒロインだけという事もちらほらありました。

つべこべ言わず見たまま感じたままにしとけばええやんと思わなくもありません。エロゲにエロは必要かという議論は共有しやすく鉄板な話題であり、ほとんどの場合は表現の幅が大事とかおまけっぽくて嬉しいとかないと物足りないとか、それぞれの好みや見解に落ち着きます。エロシーン全スキップみたいな友人もいました。かく言う自分も、上述したとおりに『置き』のエロなら不要(逆もまた然り)という立場を取っていました。現在もそうです。

そうした嗜好を抱えてしまった立場からプレイした「ATRI」は、プレイ中から快適さが段違いでした。エロ要素にリソースが割かれておらず、ストーリーを分断することがなく、キスシーンや軽度の身体接触・恋愛感情の発展なんかは微笑ましく眺められるものになっており(だいぶ直接的なのもありましたが)、物語を描くことに全振りである作品にはとてもよく感情移入できました。やはり常々思っていたとおりだったのですが、こうして実際に体験すると、18禁要素なしで作り込まれたノベルゲーは映画の時間パッケージを大きく拡大したコンテンツとして深く楽しめました。


本当にありがとうございました


本作で得た一番大きな感動はここだったかもしれません。これが土台にあったからこそ、とてもリラックスして読み進められました。いや本当にマジで超すごい。ありがとうアニプレエグゼを考えた人。応援するのでこれからも自分のような(奇異な)層を救ってくださると助かります。


シナリオについて



体験版の範囲は薬もなく毒もなくという感じでした。キャラの性格や関係性の提示・変化・定着という土台作りも兼ねつつ、当たり障りなく予想どおりに出来事が運ぶ安心感は際立っており、一方でやや退屈かなと思ったりもしました。後半の展開に向けての伏線が明確にあってもよかったのでは? と考えましたが、自分は冒頭にある言葉をほぼ忘れながら進めていたのですが、そのように見逃している可能性が高いのと(驚きたいのと頭が悪いので伏線とか考えずに読むのです)、やはり体験版ありきでスルッと入りやすい空間を作ったのかなと予想したりしました。

体験版の後からは、出してから早めに回収される短めの謎とかが連なるような形で物語が進んでいきました。アトリと主人公の関係・アトリ自身の由来が変化したり提示されていく流れは、楽しくも心地よく、なんだろうと予想する手がかりや期間が短めなのもあってするすると入り込めました。全体の傾向としてそのような作りになっている体感があります。序盤に伏線を感知できていない可能性も高いですが、なるべくストレスフリーかつ優しく読み解きやすく、メッセージ性も感じやすく理解しやすいので、アトリの可愛らしさや健気さやいじらしさを多方面からよく眺めることができました。竜司は登場時から不良っぽいキャラだったので、何かこう主人公には強気で意見を言ったり実力行使みたいなシーンも映えそうだなと思っていたのですが、彼は一貫して有能かつ親しみやすい相棒として描かれていました。ただ、従順だったりいいヤツ過ぎるきらいはあったかもしれません。ある意味では「ATRI」において象徴的な存在かもしれないなと思います。


とてもいい子でした


序盤に戻りまして、主人公がもう失意のどん底かつ身体も欠損しててつらい人、みたいなスタートから始まったのは印象的でした。結果的には上昇幅を大きく描くためのアレだったのかなと思ったりしましたが、世界観に含まれていた優しいようでハードな部分を予感させるのにも効いてました。そう考えると世界観というか全体の雰囲気としては、海面上昇の速度はゆったりで緊急性を要してはいない環境問題や、希望の象徴として飛んだロケットとか優しい母親とかアトリの存在を含めて、事前の印象よりは穏やかな感じだったように思います。詩菜様とアトリを取り巻く環境や運命はキツかったですが、もうちっと全体の世界観、環境問題の面で緊張感があってもバランスはよかったのでは? と妄想しなくもないです。あと何年で沈むか具体的になるとか、原因不明だった海面上昇の原因がわかったとか、ロケットの開発に本当は別の目的があった(大衆に発表してるより宇宙開発はずっと遅れてる)とか。考え出すとキリなくて物語の幅も広がり過ぎそうで大変ですが。

そうしたハードかつバイオレンスも絡む部分として、久作先生が作ったYHNというヒューマノイドを開発したり使ったり振り回された人たちの背景があります。アトリ自身に関しては、暴走によるエラー事故があった個体とミスリードしておき、実際は何より尊重されるべきであろうロボットのシステム上に生まれた意識・感情の発露だったという展開でしたが、いかんせん結構キツかったです。人間の悪意が大きく関わることで善意も大きく際立ち、結果として大きなうねりから感情(例外)が生まれるという解釈を出来なくもないですが、それならばもう少しそのようなものだときっちり示すように書いてほしかった感があります。一番わかりやすく最初に表出したのがアトリの『怒りという感情』であり、重めの展開を使いながら最初をそれにしてしまうのは、バランス的にはやや悲しいかなとその場面では思ってしまいました。後から思い返せば、直後に大雨のシーンもあったり、ログに落ちていた洗浄液・後には涙と形容する水分が「好き」の部分に落ちていたことから、その時点から感情があったのではないかということを物語ってました。しかし緩めかつ少なめな手順の展開から(ヤスダは登場から行動までが突然かつ無対策な印象があり)、暴力的な展開が来たり血を見たりするのは正直キツく、アトリ自身の過去を再現していくのには適切な手順だったかもしれませんが、そこだけは首を傾げています。


トゥルーの条件(だった?)なのでなおさら…


夏生の呼びかけで最初に呼び出された感情が、30年間以上ずっと溜まっていた悲しみというもので、それの発露が大雨と一緒にというイベントCGの演出なのは印象的でした。後に引きずりすぎないために洗い流したという表現・解釈もおそらく自然にできるもので、機能美も兼ね備える優れたものです。しかし、久作先生の悲しくつらい境遇や救われない末路があったにしても、ヤスダという動機と直接的な暴力は本当に必要だったんでしょうか。そうした人間の悪意の存在や匂わせというのは、キャサリンがナイフで夏生を脅迫したり、政府が避難指定区域が危機的な状況にあるのを黙殺していたり、アカデミーで夏生が辿ったあれこれから予想がつくものではありましたが、それに30年間も振り回されていたアトリまで深めに付き合わせる必要はあったんでしょうか? という疑問がなんとなくモヤモヤしたまま残っています。大きく直接的な悪意の存在が、アトリの善意や全体の感情を作ったという説得材料にするなら理解できますが、そういった方面での問いかけはSFに寄りすぎるからなのか、アトリという個人を描くのを重視した展開では詩菜様との関係がクローズアップされていました。過去における感情の振れ幅と詩菜・アトリの関係性は不可分なものではありますが、示す分量のバランスが異なり、前者を出した割には少なめになっていたので必要性に疑問を感じたのかなと考えています。そもそも自分が暴力や血を見ることになるとは思っていなかったので、大きく不意打ちを受けた形になっていたのもありますが、ヤスダがあれ以降はトゥルーエンドでさえも一切出なかった小物として片付けられてしまった事も含め、5点減して95点とする要因になっているように感じています。

などといろいろありましたが、少し戻りまして、夏生がアトリのログを盗み見てから演技をやめろと命じた辺りの急転直下感は演出的によく効いていてよかったです。後から思い返すと、正直あんまり予想できていなかったのと、アトリ自身の(表層の)変化が夏生と関連づいて大きく動いたので、この落とし方は悲しいですが納得行く流れとして理解できてます。こちらは、という見立て方であって、こうした自然かつ感情によく結びついた演出が成功している一方での手前に書いたあれこれがしんどい訳です。自業自得かつ未熟だったヤスダが悪い側面はもちろん大きくありますが、自分がしたことを大いに反省して、後の竜司や凛々花の手助けに尽力した等のフォローがあってもよかった気はしています(彼の信念次第ではありますが)。夏生とは義肢という共通点がありますし、トゥルーエンドの場面では生涯ずっと義足で過ごしたことにも触れられていたので、何かこうあってもよかったのではないでしょうか(信念次第…)。


ネガティブなこと書きすぎ注意報


でも大きく気になるのはそれくらいでした。

純粋に恋愛青春モノとして見た場合、間違いなく特に印象的だったのは、夏生がアトリへの好意を自覚する瞬間がきちんと描かれていた部分でした。






そんなに数は多くありませんが様々にノベルゲーをプレイしてきた中で、こうした書き方を見たのは初めてでした。それはおそらく普通のノベルゲーというのは、主人公とプレイヤーの重ね方がやや強力であって、ヒロインを好きになるポイントがプレイヤーそれぞれなのもあったり、フルプライスモノならストーリーの構成上どうしても各ヒロインルートの存在が前提になり、各キャラへの分岐を考えさせるためにヒロイン全員を魅力的に描く必要があるからだと思ってます。「ATRI」ではもちろんメインヒロインがアトリ一人だったり、主人公の立ち絵があって、まずプレイヤーとの同調は期待しないようなキャラ設定であることから(+ぶっちゃければ18禁要素を削っているから)、夏生からアトリへ好意が芽生えた瞬間を明確に描けたのかなと考えています。夏生の想い出にあった出来事とアトリの記憶が結びついた瞬間だったこと、歌とCGまで使って演出していたことからも印象付けが強力でした。まず既存のゲームと一線を画していたのはどこかと聞かれればここを挙げると思います。

ディテールの部分を考えていくと、終末に向かう世界観・AI・儚げな一夏あたりは、特に隠すこともなく流行に沿いつつ伝統的な要素を組み合わせたものという感じです(麦わら帽子と時間遡行があったら役満)。終末後の世界観というのは何かと人気ですが、終末に向かう中で力強く生きている人たちというのは、そういえば最近はあまり見ないのでやや新鮮かもしれません。そこに伴うテーマが、この作品のような前向きさ・明るさを強調しやすいものであるため、流行の終末後のすべてから解き放たれて何もしなくていい雰囲気とは相反しているのもあるかもしれません。しかし流行があれこれと言うよりはもちろん、アニプレエグゼという看板の初出作品にはとても相応しい要素の集まりではないかと思います。


高性能ですから


上記の三要素がよく結びついているSFであり、最後までを考えると「イリヤの空、UFOの夏」なんかを思い出さなくもないところはありますが、こちらはトゥルーエンドにやや甘酸っぱさを含ませることで、夏生とアトリが多大なコストを払いつつも最後の長い一日を一緒に過ごせることへ説得力を持たせられていると思います。正直に言えばこういった話に触れている最中というのは、もうご都合主義でも何でもいいから夏生とアトリが一生共に過ごせて幸せに最期まで一緒にいてほしいとか思いがちで、実際にそういう流れが大いに大流行だとは思いますが、実際にやられると冷めるという面倒くさい輩がたくさんいると予想しています。この落とし所が非常に上手かつ繊細なところまで考えが行き届いていて、大事にされており、一本の作品として理想の閉じられ方のをしていると感じられる素晴らしさがありました。

夏生とアトリの関係性を描ききった作品としてはよいものです。その代わりに友人らや周囲にいた大人たちというのが薄味で、竜司や凛々花については上述しましたが、特に水菜萌関連のエピソードが薄かったあたりはちょい残念ではありました。しかしこのタイトルを取り囲む事情や由来を、純粋に一読者の視点からだけ見れば、この二人の関係性に集中しきって時間を割り当て続けたのはとてもよい構築だとも思います。いやほんとに知らんですけども。特に竜司と水菜萌が親戚というのは二人が結びつかない根拠のためだけに提示されてしまった感はありますし、補完する何かがあったら嬉しいな~とか考えたりはします(どうですか?)。

最もSF的な要素として、エデン周辺に関わる超科学(考証の方も入ってたんですね)もありますが、やはり主軸なのはAIなのかなと思います。作中では20年代にはAIが感情を持たないと断定され、アトリなんかは例外的に感情を持った個体だとされていますが、AIが感情を持ったという現象への言及自体はあまりなく、ちょっとだけ残念に思いました。学習することでパターンを覚え、直面する状況に応じて最適な解答を行動として弾き返すあたりは、最近でも調べればすぐ出てくるAIのフレーム問題を解決した例として卓越した水準にあると言えます。しかしこれが何から由来していて、やはりロボでありモノであるからこそ感情らしきものと形容せざるを得ない例外が生まれたのは、結局のところどういった根拠があったのかという辺りの掘り下げは欲しかった感があります。


どうして感情が芽生えたのか?(理論から)


人間には肉体・種の保存という本能があり、そこへ高度な記憶力・思考力を持った脳が組み合わせられることによって、より高効率で人間らしくあるための行動が可能なのだとか聞きます。となると、AIが人間に近い出力デバイスを持ち、ロボット三原則という現実に適用できるのか怪しいロジックや仕事を本能として持ちながら過ごすことになれば、高度な記憶力・思考力によって新たな意識が生み出されるのではという話があります。自分が思い出せる範囲ではアトリ、というかYHN型? へ適用できそうな説がそれだけ浮かんでいることもあって、じゃあ結局のところ久作先生はどういうロジックを組み込んだのかというのがとても気になっています。ストーリー上のアトリは、一定以上の記憶量や感情の入力・処理が激しくなると感情の発露につながるというロジックで描かれていましたが、突き詰めていくとその感情らしき例外はどこから来たのか? というのがやや曖昧だったように思っています。ここだけ何だか非常にもったいないような気がしていて、なぜならやはりこれはアトリが感情を得て夏生と向き合ってまた変わっていくというのが、物語の大きな展開のひとつに組み込まれていたからです。アトリの感情を描くのなら、その由来に関しても一定以上の掘り下げがあればより理想的であって、それと同時にSF・トレンドのAIを一歩だけ奥深く描くことで「この題材をちゃんと調べて使ってます」という説得力を持たせられるのでは? と思ったりします。そこは意図的に削られている感がなくもないですが、補完するエピソードほしいな~とか考えたりします。ほしいな~……何か作品の展開が……。

アトリというキャラの造形に関して、感情の発露について思うところは様々ありますが、テクニカルというか入り乱れた手法で様々な属性を叩き込んでいるのはわかります。キャラからストーリー作ったんだろなと思うくらいには見事な自然さです。年上かつ年下の姉かつ妹のおねショタかつ可愛くて家事も出来たり出来なかったりという、たぶん総合してヒューマノイド属性から由来しやすい展開なんだなと考えつつ、しかし何かと鼻につきやすいものではあります。ツイッターを見ていると、絵がうまくて話も描ける人は端的に言って化物なんだなと毎日よく思わされます。それに付随して属性擦りがあまりにも激しいので、なんとなく一周回って現実の人間の方がマシと思うくらいアレな感覚すら抱きがちです。しかしアトリに関しては、それらの由来が過去と現在からしっかり説得力されているので、どれもこれもシナリオ上ではすべて自然なものとして受け入れられました。一人だけのメインヒロインを深めるメリットはこういうとこにもあるんだなと確信しました。

とにもかくにも、アトリ全振りのシナリオはとてもよかったと感じます。巷では尊いという言葉があふれて(もう廃れた感はあります)、本当に尊いことはいったい何なんだとか不用意に使うと逆に軽くなってしまったりしますが、このラストは尊いものだなと自信を持って言いやすいです。想いや時間を喜んだり苦しんだりしつつも重ねて行き、お互いにやるべきことを成し遂げ、最期にたどり着いたのが二人きりで一日きりのエデンならば、それは尊いと言ってもいいんじゃないでしょうか。なるほどな~(?)。






冒頭は孤独なアトリの独白から始まり、終端はアトリと二人きりになった夏生の独白で終わっています。二人それぞれの時間への価値観が対応するように並べられてましたが、これを素直に読めば、この作品は出会った二人が助け合ってどこまでも前向きになれたという話なんだと思います。二人に最も足りなかったのはお互いの存在であるという要素が、夏生の欠けた片足と幻肢痛、アトリが最後まで言い続けた役割への執着として描かれてます。夏生が何もしなくてもロケットは飛んだかもしれませんが、確実に様々なことが次代へ引き継がれています。テーマとしては非常にシンプルでありふれた感じですが、また繰り返しにもなりますが、正統派の方向へ掲げるアニプレエグゼの看板作品としてはベストな話題なのではないでしょうか。ともかく、総合して美しい話でした。割と冷静な書き出し付近では95点とか書きましたが100点です。


絵について



特にキャラデザは懐かしくも新しくという感じで、全体的にとてもきれいでした。瞳がキラキラしてて好きです。100点です。


おわりに



やりきった感があるので、正直なところを書けば「次はサクラノ刻が楽しみです(特に藍ちゃん先生)」とかになるんですが、それはさておき、久々に感想を書き留めておきたくなる作品に出会えたことに感謝です。単純に思わされたことを書き出して整理したくなる作品は強い。関わったスタッフの方々、そして特にアニプレエグゼというブランドの今後の発展を応援しております。がんばれ~。




2 件のコメント:

  1. エデンの超科学は現実に沿った科学的根拠とかじゃないけど一応。前作「ISLAND」でリンネ及び主人公の三千界切那が持ってきた遥か未来からの技術だと思われる。アトリのはいってたカプセルが御原凜音らが使用していた「タイムマシン」(実際にはコールドスリープ)と酷似していることとエデンが暴龍島(未来の地下コロニーであるアイランド)のシステムを使ってる事から繋がりを示唆しているかなと。トゥルーエンド後色々駆けずり回ってすべてを終わらせた結果、アニメエンドのようにリンネと切那夫妻は島の外に出て未来技術の研究に勤しむようになったのではなかろうか?娘の凛音は女将になってるからないとして様々なファクターからいっても技術屋のリンネが夏生祖母に接触して指南した可能性が高い。世界の真実を知っている財団でもコールドスリープマシンは未知の物だったし、未来関連は実質的にはリンネという個人の出来事だからである。

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  2. 鶏が先か卵が先かにはなると思うが、一つ言えることはリンネの影響力が凄まじいということである。流石、伝承の少女。未来でタイムマシンを開発してループ→寒冷化による滅亡という袋小路の打破と切那による過去改変のきっかけを作り、現代ではカレン母を有数な研究者にしたり、サラ母を島外にだしたりなど。

    ISLANDというかフロントウィング作品のテーマが次代に引き継ぐだから…

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