2020年9月19日

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 感想っぽい




共有できる友人がいないので壁打ち感想会メモ。映像としては最初から最後まで意味のあるものばかりで、円盤でじっくり観ないとわからないことがたくさんある気もしますが、とにかくよかったので何とか書き出しておかないとソワソワして気が済まない感じ。何度思い出してもいい映画…。


犬の人形


一番最後に見た絵だからかもですが、エンディング後の一枚絵と、犬の人形が左側に置いてあったのが印象的でした。映画を観る前に本編を見直していろいろ予習しといてよかったです。あの一枚だけで伝わってくるものがいろいろありました。


普遍的かつ強いテーマとストーリーの結びつき


で、まず制作陣の方々にありがとうございました素晴らしかったですと言いたくなる完成度でした。100点! 恥ずかしながら原作は読んでおらずだったのですが、特典小説がいい感じに読みやすい文体でしっくり来たのでポンと注文しました。紙媒体でほしいやつ。


純粋に完成度が高かったなぁと深く感じています。最初に未来の時間軸から始まったところから、二つの時間軸を行き来していろいろなことがうまく行ったことを示唆しつつ進めていく構成を取って、強く願うことの大切さ、素直になることの難しさ、言葉にして伝えることの大切さなどなど……遡っていけば「あいしてる」にまとめられそうなテーマが様々に詰まっていました。この五文字でだいたいまとめられてしまう軸の強さがすごい。不変で普遍と公式サイトでは謳っていましたが最後まで字面負けしなかったなぁと。


視点が時間を行き来するという以外は、ストーリー自体の作りはかなりオーソドックスなもので、キャラクターやテーマの力強さが可能にしていた直球ストレートなものだと感じています。劇場版のあらすじを見て少佐が生きてるん!? となった日から、もしビターなエンドではなく、ヴァイオレットとギルベルトがきちんと再会して和解する展開になるならどうなるんだろうとよく考えていました(捻くれ…)。その中でも劇中で描かれたギルベルトが「出会わなければよかった」と自分の過去を否定する流れは思っていた以上に直球だったのですが、映像や音楽と合わせて観るとこれ以外はありえないよなぁと深く実感させられました。


冒頭の未来視点から成功している過去を何度も示唆し続けていたのは、こうした本当にありきたりで単純なことにも思えてしまえそうなテーマへの重みづけが狙いだったのかなぁと感じています。この工夫があったからこそ意義深い物語だったと感じられたというか。ずっと未来まで息づいているヴァイオレットの遺したものが、本当にいろいろな場所で人々から大切に思われていたことで、作品全体を素直に祝福したくなるような雰囲気が常に流れていたというか。こうしたソフトなストーリーで後世に名前を残すような人物がしっかり自然と描かれているのは新鮮さをかなり感じたので、どうしてこの書き方が出来たんだろうと逆算して考えてみた次第です。


これも「あいしてる」というテーマが、時代や場所を選ばずに普遍であり続ける強度を持っていたから出来たことなんだろうなーと思います。ヴァイオレットがギルベルトから授かり、何もわからない・少佐がいないとかでひたすら苦しみながらも理解したいと願い続け、やっとはっきり見つけた「あいしてる」はずっと遠い未来まで残るようなものだった……という結論にとにかく感情移入しやすい。ヴァイオレットが積み重ねてきた行いや本当にほしかったものはお金で買えない価値があるもので、時代を越えて受け継がれていく確かな普遍性があると。ヴァイオレットが少佐のいた過去や少佐のいない未来に苦しみ続けて、けれども忘れられない・会いたい・そう願い続けるしかないという危ういくらいの純粋な感情が真摯に描かれていたからこそ、このラストへたどり着けたんだろうなーと感じました。


ギルベルトとテーマの関わりについて


こうしたこと、ヴァイオレットという人物を形作るにまで大きくなったであろう「あいしてる」について考えていると、ギルベルトが(ヴァイオレットが綴った讃歌と結びつきの深い)海で話した「俺は君が思っているような人じゃない」といったニュアンスの言葉がよく思い出されます。


ギルベルトは人里離れた離島で一般人として暮らしていました。過去・名前・地位をすべて捨ててまでそうさせたのは、自分が連れ回したことからヴァイオレットの未来を奪ってしまったという重責からだと思われます。肉体的な損傷も大きかったギルベルトにはどう考えてもあまりにも重すぎます。突然現れたヴァイオレットを避けてしまうことも、ホッジンズから「ヴァイオレットちゃんが生きていたのを知ってたんだろう」と責められても(いやそれ知ったのはついさっきのことなのでは……)と可哀そうになってしまう辺りも、どれだけ拒否しても「私は会いたい」とまで詰め寄ってくるヴァイオレットを深く傷つけてしまったのも、ギルベルトという人物が情けない男だからだったとはどうしても考えられません。境遇を考えれば生きて働いているだけでも十分強い人格を持っていると思います。


ホッジンズが大馬鹿野郎と叫ぶ場面もありましたが、あれは彼自身の思いやヴァイオレットの心情を思えば当然出てくる気持ちの爆発だとは思います。ただ、あの時点のギルベルトにはあまりにも味方が少なかった訳です。テーマから照らし合わせれば、ヴァイオレットは持ち前の学習能力やある種の素直さで、ここに至るまでに様々な気持ちのありようを体得してきていました。ユリスの気持ちを的確に引き出せるドールにまで成長して、少佐に「今なら少佐の気持ちも少しはわかるのです」と発言できてしまうほど、ヴァイオレットは周囲の「あいしてる」を元手に強い女性となっていた気がしています。


ここは本当にわかりやすい対比で、ギルベルトは右腕や右目を失いながらひたすらずっと一人だった訳です。自分の過去をすっかり捨て去って、自分がヴァイオレットに対してしてしまったことを一生後悔し続けなければならず、せめてもの贖罪にとあの離島で人々の役に立とうとしていたのだと思います。それは実際にブドウ畑と道をつなぐ滑車が象徴として描かれていて、けれど贖罪の裏に自然と存在している本来の優しさが、生徒たちの口や周囲の老人たちから語られることでギルベルトの立場を保たせていました。ブドウ畑から船を見送るギルベルトに「帰れる場所があるなら帰った方がいい」と話す老人、急に現れてギルベルトへ全力で気を遣うプロツンデレのディードフリート、そして滑車がヴァイオレットからの手紙を運ぶ役割を果たした一連の場面にはとてもじんわりしました。


あれほど何を書けばいいのかと悩まれていた、ヴァイオレットからギルベルトへ宛てた手紙の文面は、おそらくあれ以上はないほどヴァイオレット自身の成長やギルベルトへの思慕であふれていたと思います。この文面がギルベルトに伝わっていく瞬間が、個人的には一番ぐっと来たシーンでした。病めるときも健やかなるときも……ではないですが、ヴァイオレットがこれまでに積み重ねてきたすべてが手紙一枚に込められていて、それがギルベルトにすべて伝わって彼自身を動かした辺りです。そんなことが出来てしまうヴァイオレットが健気すぎて切なすぎて、この映画でおそらく初めてギルベルトからヴァイオレットへの呼びかけが行われた瞬間から、すぐに船から飛び降りるまでしてしまうのが……。


ここでギルベルトが正直に「俺は君が思っているような人じゃない」のようなことを言ったりとか、「君に相応しい人だとは思えない」と言ってしまうのとか、それをヴァイオレットが言葉もなく否定しているのとか、ここまで素直な気持ちで祝福できる再会シーンは他にないだろうと確信できる説得力がありました。先に歩み寄って相手へ触れたのはギルベルトだったという辺りもわかりみが深い。あーもうこれ以外ありえないという感じでした。保護者で主人だったギルベルトが与えた「あいしてる」がヴァイオレットをどこまでも強くして、再会したときには、手紙で出来うる限りの「あいしてる」でギルベルトの方を助け上げたという構図ですね。健気で切なくて子供っぽいんですけど、それは少佐に対して未解決のままだった気持ちがずっと残っているからそう見えているだけで、実際にはずっと大人な考え方をしてるんですよね。シラフで書いてると恥ずかしいんですけど、テーマとして提示されてる「あいしてる」なのでどんどん書けます。「あいしてる」はだいたい一番強い。


社長……。


しかし長々と書きましたが、個人的にはホッジンズが一番幸せになってほしいです。彼の性格であのディードフリート大佐の一個下である中佐まで来れたのって何なんでしょう。ヴァイオレットを捉える視点のひとつとして、ヴァイオレットが立ち直っていくために最重要レベルの働きを見せてくれたホッジンズですが、なかなか自分のことは蔑ろっぽい傾向が見えるような気もするので……そうでもないだろうか……いやわからない……幸せになって社長……。


出来るなら女性視点で観てみたい


男性陣が総じて何かしら可愛らしい部分を持っていたり、特に外伝では(監督も女性だったからか)そうした傾向が強いと感じたのですが、やはりなかなか女性向けっぽいなと思う瞬間はちらほらありました。それが男性向けのオヤジくさい露骨さくらい鼻についたという訳では全然なく、ストーリー自体は理解さえできればどんな世代・性別の人にも勧められる内容でした。しかし……男性陣にもっとトキメキ(???)を覚えてみたかったり、より女性視点から捉えた「あいしてる」について深く知りたかったりします。自分は「あいしてる」についてはざっくりと「いい面も悪い面も受け入れられて、それでも触れていれば前向きになれる大事なもの」と捉えていて、多分この辺がちょっと違うんだろうなぁと思ったりする訳です。VRとかボイチェンで外見美少女みたいなのはあんまり興味ないんですが、感性の取り替えみたいな感じでカジュアルに行けるならそれは非常にしてみたいですね。何故か今回のディードフリートは萌えポイント(???)が非常に多かったので……。


あまりにもきれいな幕引き…


まだまだいろいろ考えたり書き出したり観て確認したいことはいろいろあるものの、あまりにもきれいで美しい幕引きが頭に過ぎり、何かとスッキリできるのと同じくらい寂しいのが心身に効いてきます。寝なければ……文庫本が家に届くのを楽しみにします……。

それにしても100点でした。特典小説がランダムなのはよくないと思いますけど! ディードフリート大佐Ifがかなり良くて満足ですが。世知辛い。なので本とTVシリーズと映画でもう一巡りくらいしようと思います。まだ作品世界に浸っていたい……幕引きがきれいすぎて……切ない……。ありがとうございました。




2020年7月10日

ATRI -My Dear Moments- 感想(ネタバレ)




冒頭はいつのどこなんでしょうね



どうとでも取れそうなあたりがちょっと素敵です。



ざっくり感想



個人的な好みで言えば95点でした。

物語を演出する各素材はとてもきれいでよく感動しました。立ち絵の表情豊かさ、イベントCGもきれいで、特に夕暮れどきの笑顔がキラキラしてて好きです。音楽もセンスよく彩り豊かにまとめられており、情景描写に関しては空気感がよく出ていてお気に入りです。UI関連もこれくらいでええのんな~と思う小綺麗さと、やっぱりタイトル画面がトゥルーエンド後に変わるのっていいですよねとしんみりしました。竜司の声がよすぎてソッコでシステムボイスにしました(神)。まだ聞いていなければ竜司を指名してタイトル画面へ死に急ぎましょう。

シナリオは思っていた以上のボリュームもあり、44日間での変化は様々で、メインヒロインであるアトリのいろんな感情を見ることができました。トゥルーエンドは何だか静かで甘酸っぱい感じだったので、OPを流すよりはしんみりした曲がよかったのではとかは思いましたが、よいバランス感覚ですっきり閉じてくれた辺りの満足感が高いです。続編の匂わせとかは疲れるので、アトリがいた45日間を作中で描ききってくれたのはかなり好感が持てました。


出会いの場所から街を救ったエデンまでという素晴らCG


販売形態・18禁要素の不在について



実際そうなるのは相当難しそうな(よく知らない)のですが、ノベルゲーは映画の2時間が拡大したコンテンツみたいに思っていて、今回の「ATRI」に関しては制作・コンテンツ・販売の形態としては理想形のひとつなのではなかろうかと思ってます。外国語対応は特に難しそうではありますが、もしこの販路が成立して様々なメーカーが出してくれれば、価格帯的にもボリューム的にも触れやすさは相当高いです。個人的にはSteamで保存・ダウンロード・各デバイスで起動できるのがめちゃくちゃ強いです。DMMとか使った方が国際情勢的にはいいのかもしれませんが(そうか?)。

大声では言えませんが、やっぱりエロゲにはエロがいらないやつもあったんだなぁという実感を強く得ています。エロがないという安心感はものすごいです。個人的にはシナリオ内の恋愛というのはキャラの自立・結びつきの両方を強くするものと思っていて、その過程や発展は人格にだけ結びついてれば満足なのです。その中での18禁要素というのは、大概の場合で上手に人格そのものへ結びついておらず、ただ何となく設置されてる感が5割を越えるとすぐ不快に感じてしまいます。『置き』のエロなら不要という訳です。


『置く』だけなら不要


そういうシーンに使うテキストとイベントCGを別に回してほしい、大抵の場合でかなり長尺なので前後のストーリーのつながりを大きく分断してしまう、そういうシーンの脚本・演出はシナリオ作成とまったく別の技能である、もし書くなら専門の人に分業してほしい、などなど…。さらにそういった方面を上手にストーリーへ絡めようとすると、そういった分野のコンテンツに出てくる登場人物のように、キャラクターの根幹や普段の興味や言動へ表出させる必要がある。必要なリソースはそういったシーン単体ではなく、シナリオ・キャラクター全体の構築にも関わって来る訳です。それを親近感・身近さ・現実感へのトリガーにするなど上手にやっている作品も見たことがあるような気もしますが、キャラゲー方面の要素が強い作品であり、シナリオともうまく絡んでいるのは一部のヒロインだけという事もちらほらありました。

つべこべ言わず見たまま感じたままにしとけばええやんと思わなくもありません。エロゲにエロは必要かという議論は共有しやすく鉄板な話題であり、ほとんどの場合は表現の幅が大事とかおまけっぽくて嬉しいとかないと物足りないとか、それぞれの好みや見解に落ち着きます。エロシーン全スキップみたいな友人もいました。かく言う自分も、上述したとおりに『置き』のエロなら不要(逆もまた然り)という立場を取っていました。現在もそうです。

そうした嗜好を抱えてしまった立場からプレイした「ATRI」は、プレイ中から快適さが段違いでした。エロ要素にリソースが割かれておらず、ストーリーを分断することがなく、キスシーンや軽度の身体接触・恋愛感情の発展なんかは微笑ましく眺められるものになっており(だいぶ直接的なのもありましたが)、物語を描くことに全振りである作品にはとてもよく感情移入できました。やはり常々思っていたとおりだったのですが、こうして実際に体験すると、18禁要素なしで作り込まれたノベルゲーは映画の時間パッケージを大きく拡大したコンテンツとして深く楽しめました。


本当にありがとうございました


本作で得た一番大きな感動はここだったかもしれません。これが土台にあったからこそ、とてもリラックスして読み進められました。いや本当にマジで超すごい。ありがとうアニプレエグゼを考えた人。応援するのでこれからも自分のような(奇異な)層を救ってくださると助かります。


シナリオについて



体験版の範囲は薬もなく毒もなくという感じでした。キャラの性格や関係性の提示・変化・定着という土台作りも兼ねつつ、当たり障りなく予想どおりに出来事が運ぶ安心感は際立っており、一方でやや退屈かなと思ったりもしました。後半の展開に向けての伏線が明確にあってもよかったのでは? と考えましたが、自分は冒頭にある言葉をほぼ忘れながら進めていたのですが、そのように見逃している可能性が高いのと(驚きたいのと頭が悪いので伏線とか考えずに読むのです)、やはり体験版ありきでスルッと入りやすい空間を作ったのかなと予想したりしました。

体験版の後からは、出してから早めに回収される短めの謎とかが連なるような形で物語が進んでいきました。アトリと主人公の関係・アトリ自身の由来が変化したり提示されていく流れは、楽しくも心地よく、なんだろうと予想する手がかりや期間が短めなのもあってするすると入り込めました。全体の傾向としてそのような作りになっている体感があります。序盤に伏線を感知できていない可能性も高いですが、なるべくストレスフリーかつ優しく読み解きやすく、メッセージ性も感じやすく理解しやすいので、アトリの可愛らしさや健気さやいじらしさを多方面からよく眺めることができました。竜司は登場時から不良っぽいキャラだったので、何かこう主人公には強気で意見を言ったり実力行使みたいなシーンも映えそうだなと思っていたのですが、彼は一貫して有能かつ親しみやすい相棒として描かれていました。ただ、従順だったりいいヤツ過ぎるきらいはあったかもしれません。ある意味では「ATRI」において象徴的な存在かもしれないなと思います。


とてもいい子でした


序盤に戻りまして、主人公がもう失意のどん底かつ身体も欠損しててつらい人、みたいなスタートから始まったのは印象的でした。結果的には上昇幅を大きく描くためのアレだったのかなと思ったりしましたが、世界観に含まれていた優しいようでハードな部分を予感させるのにも効いてました。そう考えると世界観というか全体の雰囲気としては、海面上昇の速度はゆったりで緊急性を要してはいない環境問題や、希望の象徴として飛んだロケットとか優しい母親とかアトリの存在を含めて、事前の印象よりは穏やかな感じだったように思います。詩菜様とアトリを取り巻く環境や運命はキツかったですが、もうちっと全体の世界観、環境問題の面で緊張感があってもバランスはよかったのでは? と妄想しなくもないです。あと何年で沈むか具体的になるとか、原因不明だった海面上昇の原因がわかったとか、ロケットの開発に本当は別の目的があった(大衆に発表してるより宇宙開発はずっと遅れてる)とか。考え出すとキリなくて物語の幅も広がり過ぎそうで大変ですが。

そうしたハードかつバイオレンスも絡む部分として、久作先生が作ったYHNというヒューマノイドを開発したり使ったり振り回された人たちの背景があります。アトリ自身に関しては、暴走によるエラー事故があった個体とミスリードしておき、実際は何より尊重されるべきであろうロボットのシステム上に生まれた意識・感情の発露だったという展開でしたが、いかんせん結構キツかったです。人間の悪意が大きく関わることで善意も大きく際立ち、結果として大きなうねりから感情(例外)が生まれるという解釈を出来なくもないですが、それならばもう少しそのようなものだときっちり示すように書いてほしかった感があります。一番わかりやすく最初に表出したのがアトリの『怒りという感情』であり、重めの展開を使いながら最初をそれにしてしまうのは、バランス的にはやや悲しいかなとその場面では思ってしまいました。後から思い返せば、直後に大雨のシーンもあったり、ログに落ちていた洗浄液・後には涙と形容する水分が「好き」の部分に落ちていたことから、その時点から感情があったのではないかということを物語ってました。しかし緩めかつ少なめな手順の展開から(ヤスダは登場から行動までが突然かつ無対策な印象があり)、暴力的な展開が来たり血を見たりするのは正直キツく、アトリ自身の過去を再現していくのには適切な手順だったかもしれませんが、そこだけは首を傾げています。


トゥルーの条件(だった?)なのでなおさら…


夏生の呼びかけで最初に呼び出された感情が、30年間以上ずっと溜まっていた悲しみというもので、それの発露が大雨と一緒にというイベントCGの演出なのは印象的でした。後に引きずりすぎないために洗い流したという表現・解釈もおそらく自然にできるもので、機能美も兼ね備える優れたものです。しかし、久作先生の悲しくつらい境遇や救われない末路があったにしても、ヤスダという動機と直接的な暴力は本当に必要だったんでしょうか。そうした人間の悪意の存在や匂わせというのは、キャサリンがナイフで夏生を脅迫したり、政府が避難指定区域が危機的な状況にあるのを黙殺していたり、アカデミーで夏生が辿ったあれこれから予想がつくものではありましたが、それに30年間も振り回されていたアトリまで深めに付き合わせる必要はあったんでしょうか? という疑問がなんとなくモヤモヤしたまま残っています。大きく直接的な悪意の存在が、アトリの善意や全体の感情を作ったという説得材料にするなら理解できますが、そういった方面での問いかけはSFに寄りすぎるからなのか、アトリという個人を描くのを重視した展開では詩菜様との関係がクローズアップされていました。過去における感情の振れ幅と詩菜・アトリの関係性は不可分なものではありますが、示す分量のバランスが異なり、前者を出した割には少なめになっていたので必要性に疑問を感じたのかなと考えています。そもそも自分が暴力や血を見ることになるとは思っていなかったので、大きく不意打ちを受けた形になっていたのもありますが、ヤスダがあれ以降はトゥルーエンドでさえも一切出なかった小物として片付けられてしまった事も含め、5点減して95点とする要因になっているように感じています。

などといろいろありましたが、少し戻りまして、夏生がアトリのログを盗み見てから演技をやめろと命じた辺りの急転直下感は演出的によく効いていてよかったです。後から思い返すと、正直あんまり予想できていなかったのと、アトリ自身の(表層の)変化が夏生と関連づいて大きく動いたので、この落とし方は悲しいですが納得行く流れとして理解できてます。こちらは、という見立て方であって、こうした自然かつ感情によく結びついた演出が成功している一方での手前に書いたあれこれがしんどい訳です。自業自得かつ未熟だったヤスダが悪い側面はもちろん大きくありますが、自分がしたことを大いに反省して、後の竜司や凛々花の手助けに尽力した等のフォローがあってもよかった気はしています(彼の信念次第ではありますが)。夏生とは義肢という共通点がありますし、トゥルーエンドの場面では生涯ずっと義足で過ごしたことにも触れられていたので、何かこうあってもよかったのではないでしょうか(信念次第…)。


ネガティブなこと書きすぎ注意報


でも大きく気になるのはそれくらいでした。

純粋に恋愛青春モノとして見た場合、間違いなく特に印象的だったのは、夏生がアトリへの好意を自覚する瞬間がきちんと描かれていた部分でした。






そんなに数は多くありませんが様々にノベルゲーをプレイしてきた中で、こうした書き方を見たのは初めてでした。それはおそらく普通のノベルゲーというのは、主人公とプレイヤーの重ね方がやや強力であって、ヒロインを好きになるポイントがプレイヤーそれぞれなのもあったり、フルプライスモノならストーリーの構成上どうしても各ヒロインルートの存在が前提になり、各キャラへの分岐を考えさせるためにヒロイン全員を魅力的に描く必要があるからだと思ってます。「ATRI」ではもちろんメインヒロインがアトリ一人だったり、主人公の立ち絵があって、まずプレイヤーとの同調は期待しないようなキャラ設定であることから(+ぶっちゃければ18禁要素を削っているから)、夏生からアトリへ好意が芽生えた瞬間を明確に描けたのかなと考えています。夏生の想い出にあった出来事とアトリの記憶が結びついた瞬間だったこと、歌とCGまで使って演出していたことからも印象付けが強力でした。まず既存のゲームと一線を画していたのはどこかと聞かれればここを挙げると思います。

ディテールの部分を考えていくと、終末に向かう世界観・AI・儚げな一夏あたりは、特に隠すこともなく流行に沿いつつ伝統的な要素を組み合わせたものという感じです(麦わら帽子と時間遡行があったら役満)。終末後の世界観というのは何かと人気ですが、終末に向かう中で力強く生きている人たちというのは、そういえば最近はあまり見ないのでやや新鮮かもしれません。そこに伴うテーマが、この作品のような前向きさ・明るさを強調しやすいものであるため、流行の終末後のすべてから解き放たれて何もしなくていい雰囲気とは相反しているのもあるかもしれません。しかし流行があれこれと言うよりはもちろん、アニプレエグゼという看板の初出作品にはとても相応しい要素の集まりではないかと思います。


高性能ですから


上記の三要素がよく結びついているSFであり、最後までを考えると「イリヤの空、UFOの夏」なんかを思い出さなくもないところはありますが、こちらはトゥルーエンドにやや甘酸っぱさを含ませることで、夏生とアトリが多大なコストを払いつつも最後の長い一日を一緒に過ごせることへ説得力を持たせられていると思います。正直に言えばこういった話に触れている最中というのは、もうご都合主義でも何でもいいから夏生とアトリが一生共に過ごせて幸せに最期まで一緒にいてほしいとか思いがちで、実際にそういう流れが大いに大流行だとは思いますが、実際にやられると冷めるという面倒くさい輩がたくさんいると予想しています。この落とし所が非常に上手かつ繊細なところまで考えが行き届いていて、大事にされており、一本の作品として理想の閉じられ方のをしていると感じられる素晴らしさがありました。

夏生とアトリの関係性を描ききった作品としてはよいものです。その代わりに友人らや周囲にいた大人たちというのが薄味で、竜司や凛々花については上述しましたが、特に水菜萌関連のエピソードが薄かったあたりはちょい残念ではありました。しかしこのタイトルを取り囲む事情や由来を、純粋に一読者の視点からだけ見れば、この二人の関係性に集中しきって時間を割り当て続けたのはとてもよい構築だとも思います。いやほんとに知らんですけども。特に竜司と水菜萌が親戚というのは二人が結びつかない根拠のためだけに提示されてしまった感はありますし、補完する何かがあったら嬉しいな~とか考えたりはします(どうですか?)。

最もSF的な要素として、エデン周辺に関わる超科学(考証の方も入ってたんですね)もありますが、やはり主軸なのはAIなのかなと思います。作中では20年代にはAIが感情を持たないと断定され、アトリなんかは例外的に感情を持った個体だとされていますが、AIが感情を持ったという現象への言及自体はあまりなく、ちょっとだけ残念に思いました。学習することでパターンを覚え、直面する状況に応じて最適な解答を行動として弾き返すあたりは、最近でも調べればすぐ出てくるAIのフレーム問題を解決した例として卓越した水準にあると言えます。しかしこれが何から由来していて、やはりロボでありモノであるからこそ感情らしきものと形容せざるを得ない例外が生まれたのは、結局のところどういった根拠があったのかという辺りの掘り下げは欲しかった感があります。


どうして感情が芽生えたのか?(理論から)


人間には肉体・種の保存という本能があり、そこへ高度な記憶力・思考力を持った脳が組み合わせられることによって、より高効率で人間らしくあるための行動が可能なのだとか聞きます。となると、AIが人間に近い出力デバイスを持ち、ロボット三原則という現実に適用できるのか怪しいロジックや仕事を本能として持ちながら過ごすことになれば、高度な記憶力・思考力によって新たな意識が生み出されるのではという話があります。自分が思い出せる範囲ではアトリ、というかYHN型? へ適用できそうな説がそれだけ浮かんでいることもあって、じゃあ結局のところ久作先生はどういうロジックを組み込んだのかというのがとても気になっています。ストーリー上のアトリは、一定以上の記憶量や感情の入力・処理が激しくなると感情の発露につながるというロジックで描かれていましたが、突き詰めていくとその感情らしき例外はどこから来たのか? というのがやや曖昧だったように思っています。ここだけ何だか非常にもったいないような気がしていて、なぜならやはりこれはアトリが感情を得て夏生と向き合ってまた変わっていくというのが、物語の大きな展開のひとつに組み込まれていたからです。アトリの感情を描くのなら、その由来に関しても一定以上の掘り下げがあればより理想的であって、それと同時にSF・トレンドのAIを一歩だけ奥深く描くことで「この題材をちゃんと調べて使ってます」という説得力を持たせられるのでは? と思ったりします。そこは意図的に削られている感がなくもないですが、補完するエピソードほしいな~とか考えたりします。ほしいな~……何か作品の展開が……。

アトリというキャラの造形に関して、感情の発露について思うところは様々ありますが、テクニカルというか入り乱れた手法で様々な属性を叩き込んでいるのはわかります。キャラからストーリー作ったんだろなと思うくらいには見事な自然さです。年上かつ年下の姉かつ妹のおねショタかつ可愛くて家事も出来たり出来なかったりという、たぶん総合してヒューマノイド属性から由来しやすい展開なんだなと考えつつ、しかし何かと鼻につきやすいものではあります。ツイッターを見ていると、絵がうまくて話も描ける人は端的に言って化物なんだなと毎日よく思わされます。それに付随して属性擦りがあまりにも激しいので、なんとなく一周回って現実の人間の方がマシと思うくらいアレな感覚すら抱きがちです。しかしアトリに関しては、それらの由来が過去と現在からしっかり説得力されているので、どれもこれもシナリオ上ではすべて自然なものとして受け入れられました。一人だけのメインヒロインを深めるメリットはこういうとこにもあるんだなと確信しました。

とにもかくにも、アトリ全振りのシナリオはとてもよかったと感じます。巷では尊いという言葉があふれて(もう廃れた感はあります)、本当に尊いことはいったい何なんだとか不用意に使うと逆に軽くなってしまったりしますが、このラストは尊いものだなと自信を持って言いやすいです。想いや時間を喜んだり苦しんだりしつつも重ねて行き、お互いにやるべきことを成し遂げ、最期にたどり着いたのが二人きりで一日きりのエデンならば、それは尊いと言ってもいいんじゃないでしょうか。なるほどな~(?)。






冒頭は孤独なアトリの独白から始まり、終端はアトリと二人きりになった夏生の独白で終わっています。二人それぞれの時間への価値観が対応するように並べられてましたが、これを素直に読めば、この作品は出会った二人が助け合ってどこまでも前向きになれたという話なんだと思います。二人に最も足りなかったのはお互いの存在であるという要素が、夏生の欠けた片足と幻肢痛、アトリが最後まで言い続けた役割への執着として描かれてます。夏生が何もしなくてもロケットは飛んだかもしれませんが、確実に様々なことが次代へ引き継がれています。テーマとしては非常にシンプルでありふれた感じですが、また繰り返しにもなりますが、正統派の方向へ掲げるアニプレエグゼの看板作品としてはベストな話題なのではないでしょうか。ともかく、総合して美しい話でした。割と冷静な書き出し付近では95点とか書きましたが100点です。


絵について



特にキャラデザは懐かしくも新しくという感じで、全体的にとてもきれいでした。瞳がキラキラしてて好きです。100点です。


おわりに



やりきった感があるので、正直なところを書けば「次はサクラノ刻が楽しみです(特に藍ちゃん先生)」とかになるんですが、それはさておき、久々に感想を書き留めておきたくなる作品に出会えたことに感謝です。単純に思わされたことを書き出して整理したくなる作品は強い。関わったスタッフの方々、そして特にアニプレエグゼというブランドの今後の発展を応援しております。がんばれ~。




2020年2月29日

劇場版「SHIROBAKO」感想(ネタバレあり)

 




シネマシティの初日・初回 bst で観ました。
聖地だよ! やったねシネマシティちゃん!
 

 感想


 
涙あり笑いありの2時間でした。終映後は拍手が起こり、こんなふうに拍手が起こったのは去年の7月、大きな事件があった日に最終上映回を迎えていた劇場版ユーフォ以来だなと自然に思い出していました。
 
この映画は、実家のような安心感がある作品でした。TVシリーズ版からは4年という歳月が経過しており、登場人物たちの人間関係や立場もそれぞれ変化していますが、ひとつの大きな目標に向かってみんなが頑張る様子はほぼ同じものだったと感じています。
 
劇場版ならではの苦労話とかあるのかと思いましたがそれもなく、本当にディテールそのものはほとんど変わらないものでした。新しい登場人物も数えるほどしかいません。既に登場していた人物も、4年の間に「ああそうなるんだろうな」「そうなるのか」と思わせられる変化をたどって、しかし変わらず同じように情熱を持って(捕まえられたりして)仕事へ取り組んでいました。

ああ、「SHIROBAKO」はこれでいいんだな~いいんだよな~と強く思いました。三女の二期ではありませんが(野亀先生…)、「伝えたいこと」が物語の作りへしっかり結びついている以上、これ以上何も足さず何も引かないでよいのだなと言いますか。少なからず、自分が終始抱いていた実家のような安心感はとても沁み入るものでした。

 

 実家感


 
冒頭の「これまでのあらすじ」があのような可愛らしい雰囲気で進められた後、いたって普通に走るだけの車中であのOPテーマが流れ出しただけで、何というかもうダメでした。想像していたよりもずっと低空飛行の現実が打ち出されている一方で、いかにも「限界集落過疎娘」らしい懐メロ風を取り入れたサウンドがラジオに乗せられていると、ああこの空気はとても現実的だなと強く感じさせられてしまいました。

自分だけではどうすることも出来ない周囲の環境、社会全体を取り巻いている大きな停滞感と言いますか。過去や現在のどうにもならない問題をつついて喜んでばかりいて、変わりたいとかいいねされたいとか認知されたいとか輝きたいとか、言うのは簡単なことばかりを言って何もしていない・出来ていない感じと言いますか。

停滞してはいるけど、それゆえにやっぱり気楽なので、あの懐かしい感じの音楽はめちゃくちゃ優しいんですよね。何かを変えたいと思ったり、いいねされようと思ったり、輝くために行動を起こすのはアホほど面倒くさいし疲れるんです。一度でも失敗したらダメ人間認定という現代の空気は、簡単にそれをヨシとしてくれないのです。現代だけではなくいつの時代でもそうなのかもわからないですけど。

自分は20代前半ではありますが、それでもあのOP曲にはやたらと郷愁や安心感を誘われました。つらいなら少し休んでもええんやでと語りかけてくるような音作りで、それは良くも悪くも、どこまでも現実的です。過去の記憶に浸っているのを許してくれる優しい雰囲気は、しかし「SHIROBAKO」の物語、それも冒頭部分としては切実な問題点です。考えたくないようなマイナスを抱えた開始地点だと伝えてくるけど、ラジオに乗せられた音楽だけは、どこまでも生暖かい温もりと現実感で包んでくるような……。

この出だしだけでいろいろなことがわかって、「SHIROBAKO」の世界観・温度感がそうであることが何とも言えず嬉しく、涙腺がゆるゆるとしていました。大変な出だしではあるんですけど、あちら側にも自分たちと同じように失敗したり悩んだりする人々がいて、そんなときに慰めてくれる音楽があることを同時に伝えてくるんですね。

今回のお話では、これ以上にしっくり来る冒頭は他にないんじゃないかと思わされます。鑑賞中も鑑賞後も同じ感想です。

ムサニからはいろいろな人がいなくなっていたり、宮森さんの部屋がこれまで以上にぐちゃぐちゃしていたり、順調に出世する絵麻さんはルームシェアでいい部屋に住んでいい食事をしていたり、姉に子供が出来ていたり、宮井さんと出会ったその日に荻窪でものすごい飲み明かし方をしたり、みんなで集まっても相変わらず愚痴大会のままだったり、普通の人がごく普通に抱えていそうなマイナスとか紛らわし方がたくさんあるのが、相変わらずでいいなと思ったり。

個人的に実家というものが存在しないので九割くらい想像ですが……優しかったり大変だったりする日常を感じさせるいろいろな要素は、自分にとっての「実家のような安心感」を程よく想起させてくれました。



そうしてごく自然に引き込まれた後は、もう普段どおりというか王道というか。序盤で主人公+ムサニの動力源たる宮森さんは葛藤に解決があり、そこから全員を巻き込んで作品を完成させていく様子が続きます。

取り立てて捻りはありません。TVシリーズ版にあったものをひとつひとつ大事に回収していって、大いに笑わせたりしんみりさせてくれながら、「SHIROBAKOってこんなアニメだったよね」という安心感を漂わせて最後まで進んでいきました。

そこで語られるものは、変わらず同じものだったように思えています。けどしかし、数年前にまだ学生だった自分と現在のぼんやりした自分とでは、受け取り方・感じ方が大きく異なっているように思えたりしました。


 テーマ うまく行ったり行かなかったり



テーマは至ってシンプルですし、何度も登場人物が口に出して話してくれています。ともすれば説教くさいと言われそうなものですが、このご時世でこのテーマならこれくらいストレートでいいんだよなと感じました。大昔から擦られ続けている話ですし、いまさらカッコつけたり遠回しに言う必要もないんですよね。たぶん。



説教くさいと言えば、社会において物語が持つ役割というのは、自分が生きている二十年ちょっとの間だけでも大きく変化したように思っています。インターネット、スマートフォンの普及が明快な境目ですよね。主人公を通してもうひとつの人生を体感することで、普段は出来ないような体験をもたらすような役割は、年々少しずつ敬遠されるようになってきています。

日常モノとか部活モノとか、焚き火や小動物の24時間配信を眺めるような心地で観るためのアニメが多いです(粗◯乱◯では?)。あるいは特定のテンプレートを活用することで、視聴者側に負担を強いることなくどこかで観たことのある展開を流し込むようなもの。分かたれてはバーチャル配信者のような、作られたキャラクターの容姿をかぶった人間がニコ生をするような雰囲気のやつとか。

物語は清涼剤として活用されることが増えました。アクセスする手段が容易・安価になったことで、単価は安くなり、そこに求められる内容も移ろっていき、さらに不景気から消費者側の時間的余裕が削られていきました。この辺はまあ致し方ないところもあるのかなとは思います。とても悲しい。

最近の大きな変化では、キャラクターという(自分にとっては神聖だった)領域へ生身の人間が(土足で)乗り込んでいき、外形だけ整えられたタレントがゲーム実況したりカラオケしたりするコンテンツが流行っていることです(キャラをキャラとして演じている・演じておらずとも人間性とキャラが噛み合っているのは好き)。あの辺はもう何というか文化侵略……妙なことを言うのはやめておきまして……。

「画面の向こう側はお友達のいる空間」になっているんですよね。自分はどうしてもその価値観を容認できないままで、ブラウン管とか液晶を通して観るものは高尚なものであるべきという考えがあるままというか。文化的価値が高いものだとかそういう高尚さではなく、ただ一本気が通った映像や物語であるかどうかという高尚さです。その点においてはどんな映像でも変わりません。映画でもドラマでもアニメでも、生放送のワイドショーでもバラエティ番組でも、Live2D・3D系の配信者でも同じことです。捧げられている時間や魂の有無はどうしても感じ取ってしまいます。

どうしてもそういった古くさい価値観を捨てきれないのは、それに自分が救われてきたというのがあまりにも明快だからだとは思うので、たぶん仕方のないことではあるんですけども。

作業のお供にアニメを観るなんてことは信じられないのですが、どうもそういう観られ方をするのが最近は普通みたいに感じます。信じられないのですけども……。





今回の「SHIROBAKO」は、印刷ミス疑惑のあるツキノワクマさんであるところのロロが言ったようなテーマが主軸にありました。それは言葉にするだけでは伝わらない、生き方とか信念とか処世術といったものです。何度も語られてきたゆえにシンプルで飽きられやすく、しかし時代を越えて残っている、おそらくは真理に近いであろう哲学だと思います。

それが現国の問題文で出題されそうな「主題」だとすると、ディテール・外形的には、こちらもシンプルに「アニメ・アニメ制作はいいもの」だというところがあります。

付随してくる文脈・テーマとして、アニメが好き、アニメは必要、好きなことを仕事にするとか、本能的に楽しいことをしていたいとか、一人でやるよりみんなでやった方がいいとか、情熱も大事だけど適材適所とか現実との兼ね合わせもあるとか、自信とか覚悟とか、大ベテランでも思い悩んでボロボロになるとか、いろいろあると思います。

それを表現するための、テンポがいいとか小気味いいとか、ともすれば早口で何言ってるかわからなくそうな駆け足の会話・場面展開も健在でした。2時間という尺に収まりきらないたくさんのものがあるんだろうなと感じます。続編どうです?
 
上記のようにいろいろありますが、私的には、丸川元社長が宮森にカレーをご馳走するシーンがどうしてもダメでした(とてもよかったと書きたい)。もらい泣きする方だというのもあるのですが、思い出すだけでもなんかこう……。

今回のお話では、序盤でひたすら空気を澱ませて+現実的さで観客を引き込んで、それよりも長い時間を明るく楽しく元気よくなっていく過程に割いていました。舞茸さんが言ったような「ネガティブな感情も魅力に見えた」というようなところがあると思います。この空気がパッと入れ替わる瞬間というのが、元社長の「宮森さんはどうしてアニメを作っていきたいのか?」という問いかけでした。

元社長が問うたのは、「少し高いところ」から見出した答えよりも先にあるものです。業界で長く働くにつれて、制作進行、制作デスクからもう一歩進んでのラインプロデューサーとして、どうしても生きていかなければいけない自分の人生において、より明確な答えが必要になる瞬間だったのだと思います。

元社長と宮森が共有した、伝えたり伝えられたりした答えというのは、包み隠さず「SHIROBAKO」制作陣のメッセージでもあるのだろうなと思います。TV版でも今回の映画でも表現されているテーマであって、それはおそらく「えくそだす」「三女」「SIVA」でも似たものだったのではないでしょうか。

それを明快な言葉にするのが大事だと言ってくれていることも、丸川元社長さんや宮森さん、引いては「SHIROBAKO」制作陣の方々も、ひとつの壮大なテーマを共有しているということがわかったのはとても嬉しかったんですよね。



過去より未来が大事とか、前向きに頑張れとかクヨクヨしすぎんなというのは、字面だけ見れば誰がどう見ても「そうだね」と言う当たり前のことだと思うんです。当たり前のことなんですけど、それを明確に言葉にするとありえないほど陳腐になってしまうくらい当然のことなんですけども、誰かがそれを伝え続けないと本当にくだらないものになっていってしまう気がするんですよね。

周囲の環境や社会や自分の先行きが暗くなればなるほど、前向きになることや何かを頑張ろうとすることはくだらないことのように思えてきます。「何マジになっちゃってんの?」みたいな言葉は文字列を見ただけでアホほどイラつくのですが、誰かがどこかでマジになっていかないと、多分ゆるやかにダメになっていく一方なんです。ほんとに……。



「歌にすれば照れくさい言葉だって届けられるから」と歌っていたアイドルもいました。それは長く長く愛されているグループのもので、人というのは輝きたいとか変わりたいとか思ってはいるんだと、彼女らが活躍するほど強く信じさせてくれます。

頑張ることはくだらないことじゃないし、真面目に何かに取り組んだり、結果を出そうとしたり、自分の人生について前向きに考えることはくだらないことじゃないんですよね。そう感じさせてくれるものと出会うたび、ああやっぱりそうだよなと思ったり、頑張る女の子が一番可愛いと言ったアニメ監督がいたみたいに、人が惹かれ合う部分というのはそこにあるんじゃないかなと思えるんだよなぁと……。

すべての人がそうあれる訳ではないと思います。けどしかし、少しでもそうあれるような気がするなら、挑戦しておいて損はないんじゃないと伝えられて、感じさせてくれました。しばらくは前向きでいられるような気がしています。



……というふうに文章にしても、文面だけ見るとやっぱり簡単なことなんですよね。優しく言えば小学生でもわかるというか。いい悪いとか好き嫌いを語るのが難しくてリスキーな現代においても、この考え方だけは誰がどう見ても「いいもの」「シンプルなもの」だと思います。

あの大事件があった直後にユーフォの劇場版を観て、それが偶然にも最終上映回で拍手が起こったときから、それでも京アニから新作が出ますし「SHIROBAKO」はきっちり完成しています。何だか当然のことのように世の中は進んでいますが、これはまったくもって普通のことではないと思うんですよね。いくらアニメ制作が仕事・生業と言えど、ウイルスが流行し始めたくらいで大混乱に陥る世間よりは、強度があると言ってもおかしくはないはず。
 
何事もいいことばかりではないです。ふとしたきっかけで人生が丸っきり好転するようなことはありませんし、人生が変わりそうな出会いがあっても、現実の心はすぐには入れ替えられません。積み上げてきたものが大きければ大きいほど変化するのは難しいですし、ほんのささいな嫌なこと・失敗ですべて崩れても何もおかしくありません。

そうした失敗や「ネガティブな感情」も含めて、とても優れたバランス感覚とか裁量で組み立てられているのが、「SHIROBAKO」の本当にいいところだと思います。

いい年をした大人たちがロクに仕事をしておらず、ひたすら釣りをしたり、牢屋(しかし冷静に考えるとなんですかねアレ)から逃げ出したり、奥さんがパートで頑張っているのに拗ねていたり。自分が本当にやりたいこと・やりたかったことを見定める余裕もなく、ただ与えられる仕事を頑張って回さなければいけなかったり。嫌な奴というか世の中の歪みみたいな人物たちも、割とコミカルかつわかりやすく書いていたり……。

TV版から劇場版までの間に自分も成人して、ゆるやかに働き出してから、ミスター変な話野郎とか今回の悪役みたいな輩が世間には本当にいることを知ったりしました。知りとうなかった……。

ただ、1/16人前くらいながら大人になったからこそ、大人が大人でいられるのは法律的な側面だけみたいなのが普通なんだなと思えるようになりました。杉江さんや元社長さんくらいでようやく大人として一人前、あるいはまだ道半ばみたいなものだと感じられています。チャラい沢さんも含められてしまう訳ですし、子供とか大人なんて言葉はちょっと便利すぎですよね。

みんな不器用でうまく行かないのが当たり前。それでも仕事はちゃんとしようとかちょっと真面目に頑張ろうとか、丸川元社長がんから宮森さんが引き継いだような信念を持って努力するのは、やっぱり大事なことなんだなと思わせてくれました。



こんなふうに考えていると、もし最強キャラランキングを組んだら1位は高梨太郎大先生(予定)なのかなと……いや……どうだろう……。かくありたいような、そうでもないような……なんだかんだ付き合い続けてる平岡さんは尊いですね……。

できるだけ楽しく無邪気に生きていたいものです。


 続編ありますよね



TVシリーズ版と同じように「俺たたエンド」だったので、また続編が作れますね。

……ね。

「おしまい」とか「完」とかなかったですし……。
 
……。





「七福神」は、「三女」とか「SIVA」を通して完成させ続けているような気もします。けど、いずれは5人を中核にした作品が作られるような流れとか観てみたいですね。

ですよね。宮森監督とかどうでしょう。宮森社長とか……。



劇場版「SHIROBAKO」は100点でした。大変ありがとうございました。



2019年10月6日

『BLACK FOX』感想とか




『BLACKFOX』観てきました



情報公開当時からずっと楽しみにしてました。何しろ『フリップフラッパーズ』『プリンセス・プリンシパル』と自分の好みによく合致するオリジナルアニメを出している『Studio3Hz』、加えて『infinite』プロデュースの劇場作品であり、キャラデザ・設定・宣伝なんかを見ててもいいな~と思えるものが多かったので、劇場アニメ作品の公開が集中している中でも最も期待していた一作でした。これは間違いないなと。

昔にフリップフラッパーズの原画まとめ(リンク)を作ったりとか、目につくであろうプライムビデオのレビューなんかは力を入れて書いていたり(リンク)とか、なんかそういう重たい背景があるので、過度な期待とかになってそうな気もしてました。そんな不安も抱えつつでしたが、全体的に満足感のある一作になってましたので、なぜかホッとしたりしています(どこから目線なのか)。

この文章が同好の士さんとかに見つかったらいいなと思いつつ、私的なメモ用途8割くらいの意図で書きたいな~という感じなので、思いつくままにだらだら~だらだら~と書いていこっかなと。『HELLO WORLD』を観て好きだ~! と記事を書いたときは、自分の周りのいろんな人に知ってほしくて感想+オススメの内容を目指したのですが、どうやらそういうものを書くセンスはないようなので……画像なしの一生文字だけでお送りいたします。




以下ネタバレありです!





キャラデザ



ピカイチですよね! 間違いない。パンフレットにはキャラデザの斎藤さんありきで企画がスタートしたとありますが(大意)、永谷さんの気持ちがよぅくわかります。ビジュアル面の教養とかまったくないので感性だけなのですが、アニメーションで動いたら表情豊かそうで、一枚絵としても立っていて、フレッシュさもあるし何より可愛い。この絵が動くところを見たい! と思いますよなー。

アニメ化ありきで一線級のアニメーターさんがやる仕事だと、それだけでなんだか安心感があって気持ちよく見てられますよね。あぁアニメで動かすためのものなんだなと思えるというか。別メディアでの原作ありきのものだと、やっぱり見ていてそのメディアに最適化されたデザインなんじゃないよなと考えたりしちゃいます。そのためにアニメ側でのキャラデザさんがいるはずなんですが、やっぱり純度の高さで言ったらオリジナルアニメですよねー。とてもいい仕事と判断だと思います。ここ120点。

色の温度感(?)がいいですよね。リリィ、ミア、メリッサと三人がメインキャラとしている中で、赤・青・黄というのは対照的でよくあるわかりやすいものです(多分)。それでいて戦いすぎなかったり、各キャラの性格が反映されていて……作品のコンセプトにある『黒』っぽいというか血の色っぽさもある赤とか、儚げでサイキッカーみがあるふしぎな青緑とか、明るくて優しくて日光みたいな感じの黄色とか。並べたときにしっくり来るバランスもいい感じで。……という印象を素人ながらに受けました。統一感……!

あと完全に好みなのですが、めがね属性好きなので、メインキャラ三人のうち二人がめがねという画期的なアイデアには恐れ入って平伏せざるを得ませんでした。して、検索とかパンフレットを観るかぎりは出てこない、メリッサちゃんの最後らへんの衣装はパージ済ではありました。あとミアちゃんもアレは本読みとか変装用途だけなんでしょうか……いやそれでも全然なじんでいるのでアリなのです。魂にめがねがかかってるかどうかが大事で(?)、お二人ともその点は満たしていると思います(?)。いや臨時めがねとかも全然アリなんですけどね。関係ねぇ。

個人的にはミアちゃんお気に入りですね。このデザインとこの世界観の中にいるというだけでどんな子かすぐわかるというか。一見では男女どちらかわからなかったり、瞳の色合いとかで感じられるこの世のものではない雰囲気と、線が細いのに目つきがきりっとしてるあたりに人間味があったりとか、あとめがねが似合う人は偉大なので……さておき、こういう知的っぽさがある子が単に好みなのもあるというか。トータルで見てもミアちゃん推しでしょうか。白髪もいい……。

あとリリィのポニテですね。なんか髪型の短めカットが流行ってきたあたりから見かけづらくなったような気がしていたのですが、やはり女の子のポニテはロマンがあってよいですね。ニンジャっぽさとか狐モチーフゆえの尻尾イメージが源流にあるのかもしれず、きっちりコンセプトに合わせつつ存在する女の子のポニテは……いいですよね……(くりかえし)。

とかくよいというか好みの詰め合わせでした。続編を展開して新キャラとかもっと出していいん……ですよ……。


音楽



映像作品における音楽はもちろん大事で、しかし『君の名は。』『天気の子』『HELLO WORLD』は、劇伴作家さんではない方がいきなり担当されているのに不信感がありました。前者二つは本当にどんな曲が鳴ってたのかまったく覚えてなくて、しかし視聴した際の満足感は高かったのでそれはそれでよかったのだと思いますが、『HELLO WORLD』はちょっと…………………………という気持ちが強いものでした。

いやほんとに『HELLO WORLD』はお気に入り映画なのですが、音楽だけは容認しがたいところがありました。この映画のためだけに集めたアーティストたちのチームを『2027sound』と銘打って、ツイッターで見たプロデューサー? の方いわく『目まぐるしく展開が変わるからワンシーンごとに違う作家が音を宛ててもいいんじゃないか(超要約)』みたいなことを思ったそうなのです。まぁ確かにいろんなテイストの曲を出ていてサントラとして聴くだけならとてもカッコいいのですが、劇伴としてはどうなんだ? という疑問が大いに残ってしまいました。ハマっている曲とそうでもない曲にすごく差があって、音が多すぎて説明過剰というか、いや画面観ればわかるよというか、『君の名は。』意識っぽい挿入歌はかなり好きなのですが、統一感のなさとかも感じられてしまい……うーん……そんな感じでした。作り直しません……?

さておき、『BLACKFOX』では信頼と実績の横山克さん、共同で橋口佳奈さんという方が担当されていました。個人的によくわかるのは『四月は君の嘘』『ローリング☆ガールズ』『プラスティック・メモリーズ』、自分が知らない有名所では『鉄血のオルフェンズ』『Fate/Apocrypha』などなど、横山さんはよく見かけていてすばらしい仕事をする方だと明らかです。橋口さんは……浅学で申し訳なく……あまり見かけずな方でした。同じ音楽作家事務所に所属されているようで、今回の明らかにハリウッド風なオケ編曲とか、日常シーンあたりにあった(気がする)キラキラしたり落ち着いたりする感じの電子音な辺りがご担当だったのでしょうか。メモしとこ…。

さておき、もう観る前から安心感がすごくてすごくて。また別作品の話ですが『聲の形』とか超楽しみでワクワクしてたんですが、いまとなっては杞憂なのは前提に、劇伴作家さんが見慣れないアーティストさんだったんですよね。牛尾憲輔さんはめちゃくちゃ絵にも空気にもハマっていて、インタビューとかパンフレットを読んでも、あーここまで密接にやってたら泣いちゃうわーと思わされたというか。それでも知らない方だったので、観る前はどうなんだろう……agraphとは……? みたいに不安でした……杞憂でしたが! そんな不安を感じることも一切なく、あと今回は直近に『HELLO WORLD』があったので、ギャップもあり音楽も深く楽しめました。

アメコミ≒ハリウッド風というのがコンセプトのひとつにあるのかとすぐ気づいて、あぁこうするんだろうなという辺りの期待をしっかり満たしに来てくれたと言うか。観たあとに劇伴音楽はほとんど覚えてないくらい馴染んでいるのが自分は好きで、『BLACKFOX』もその部類でした。

ハリウッドのサウンドトラック制作現場は徹底したチーム制で、アクションものなんかは概ねテンプレートが決まっているものですから、イメージ段階で貼られるリファレンス曲なんかは他の映画で用いられたものをそのまま使ったりするみたいな話を聞いたことがあります。たしかにトレーラー音楽なんかはトレーラー音楽の専門家がいたりするらしいですが、正直あんまり大差ないよなーデカい打楽器ドカンドカンして壮大に弦鳴らしてここぞというとこに低めの金管ブオーとかトランペットパラパーみたいな、あーあれね感はすぐ伝わると思います。結果的に何が起こるかと言うと、本編のサントラを聴いてもどの作品のものかすぐわからなかったりするくらい『役割』に徹してるんですよね。実写の画面の情報量に添え物をしてるくらいという理由もあるっぽいです。

ただやはり日本のアニメ映画ですので、そこはうまいことデコードして文脈にあてはめてる感はあったなーという記憶があったりです。いやほんと馴染んでたと思うし劇伴ばっかり聴いてるのも妙なので記憶は曖昧ですが……。日本的! というと、盛り上がる戦闘シーンとかで主題歌アレンジのスピード感ある劇伴が着いたりしますが、今作ではどうだったんでしょうね? 多分なかったのかなーとはぼんやり。あったとしても抑えめというか、セリフにかぶってくるような合わせ方はなかったと思います。全体を通してテーマ・モチーフみたいなものもなかったように思い、その辺はハリウッド風というかなんというか、日本のよくあるメロディが説明的な雰囲気はなかったですよね(たぶん)。『BLAME!』なんかは耳タコになるくらいピアノ4音くらいのモチーフがあった気がするんですが、決まってカッコいいシーンに多用されていたので、説明的でもあるけどちゃんとハマってるなーという感触がありました。で、『BLACKFOX』にもああいう魅せ方・聴かせ方のテーマ曲がちょっと欲しかったかなとは思いました。脚本は日本の王道アニメだなぁ~というエッセンスをよく感じて、それが世界観や最近風との差別化につながっていて、そういった要素を押し出すのなら音楽もイッツジャパン! みたいな感じで手伝ってよかったのかなというか。ほしいですね、劇中ですぐわかる『BLACKFOX』のテーマ……ラスボス戦とかで流れたら絶対に鳥肌立つ……。

とは言え、観ていて安心しつつ聴けたのが大きいですねー。『HELLO WORLD』なんかがトラウマ気味だったので落差がそのまま大差という感覚もありげですが、よかったよかったお見事でありました~というか。そんな感触です。


ストーリーとかコンセプトとか



自分の予想では『プリンセス・プリンシパル』くらいのコンテクストで来るのかなーと思ってました。話の筋書きはシンプルで、リリィの復讐が軸にあるのですが、天才科学者と軍隊みたいな組織を動かせる勢力との争いに巻き込まれている辺りからして、『ニンジャスレイヤー』とか『攻殻機動隊S.A.C.』みたいなイメージが先行していたこともあります。忍殺は本当に観る前からイメージが直結していて、観ている途中で思ったのは、最初に本社ビルへ突入するシーンが『攻殻機動隊SSS』の本社ビルへ突入するシーンとダブる部分が多かったので、こっからの展開もそんな感じかな? ミア父は噛ませかな? と思ったりしました。

そこがとりあえず最後まで、マッドサイエンティストに堕ちた博士とその娘さんだけが主軸になって終わったのがちょっと意外でした。正直に書くと拍子抜けという感覚はあったのが、まぁイメージのつながっている手前で挙げた二作にあった、社会の闇や事件のスケールの大きさとは違った辺りに感じたのだと思います。アクションモノの近未来SFと言えば、サイバーパンクとか社会情勢と政治体制が地獄みたいなのと思い込んでたわけですね。

大事なシーンの演出面では、リリィの設定的にも、動機に大好きな家族の死が深く関わっているところがあるにしても、本人の成長・納得・葛藤の解決に過去が関わってくることの多さにむむ? となったりはしました。大事なことを言葉にしすぎでは? と説教っぽさ、テーマの押し出しを感じたり。時間を贅沢に使える場合は、リリィが様々な出来事を通して大事なことに自発的に気づいていき、回想を用いて自身の成長とか新しい想いに自信と理屈をつけてあげて、家族の存在はやっぱり大きかった~というような描き方をするのかなと思いました。やはり映画尺へ収めようとするのにも仕方ない手法なのかなとか。その辺の物足りなさというか即物的なとこに、なんか駆け足感があったと感じさせる原因があるのかなと。

自分はう~んまぁそっか~でも実際に動きまくってるとこ観られて良かったな~他の人はどんな視点で観るのかな~と思い、帰りにパンフレットを買おうと思ったら物販が閉まっており(池袋HUMAX最終回ゆえ)、その足で空いているかもわからない新宿バルト9を目指していき、23時を過ぎてもやっていた幸運で手に入れることができ……帰宅してから主要スタッフさんのインタビューを読んで、なるほど~と思いました。

キーワードとしては『斎藤さんデザインの女児アニメに通じる可愛らしさ』『間口の広い作品に』『親御さんとお子さんが一緒に~』の辺りでしょうか。

そこを! 目指して! いたのか! となりました。急にアイカツやらプリパラやらニチアサの男児向け女児向け問わずな辺りと結びつき、あーそれならそうなるわーと大変納得しました。アニマルドローンというともすればマスコット的な存在も急に馴染んだというか。近未来SFにサイバー武装ニンジャにちょうど桃太郎的なサポートメカというのは、一見しただけでも藤原啓治なイケメンドッグとリリィの組み合わせにはいいね……したりしましたが、なるほどなーとより深く納得したりしました。その辺も! 狙ってたのか! という感じで。

それにしては英語ベースな無国籍感とか目の前でひどめに家族が死ぬとかマッドサイエンティストがキマりすぎじゃなかろかとか思ったりもしますが、その辺はさじ加減にゴーサイン出たのだろうなとか。思えば自分も小さい頃には結構いろいろ観てたよなーと思い出し……戦闘シーンはいいんですけど痛めつけられるシーンとかがダメでした(ドラゴンボールの映画にあった首絞めのシーンがすごくトラウマ)……。そういうところから比べるとマイルドなのかなと思ったり。いや電気椅子っぽいシーンとか怖そうな……? 個人差か……。

アメコミとかアメコミ映画とかは全然詳しくないのですが、『アイアンマン』は少し観たり、『ウルトロン』からの『シビル・ウォー』は難しい話してるなーと興味深く面白かったなーというくらいの印象があります。となると日本よりずっと社会派なイメージがあって、全体的に兵器と平和と異なるイデオロギーを持つ者同士の相互理解の難しさと、これ全米でヒットするんだーと思うような筋書きでした。その辺も『BLACKFOX』を観ながらもわかりやすさ・甘さ・ライトさなんかを感じるたびに違和感があった原因かもしれません。これも個人差な一点だなーとは思いつつメモ的に。

ただこのわかりやすさ・甘さ・ライトさは、言い換えれば日本の王道なストーリーテリングであって、これを書いているときによくツイッターで『5歳の子が「アメコミモノはヒーローが喧嘩してて怖い』と言って仮面ライダーを観てる」』みたいな内容のものがよく回ってきています。たぶん仮面ライダーもそれなりにドロドロで戦隊モノのがスッキリしてるよなというツッコミ待ちなのでしょうが、国によって好みなストーリーの違いがわかりやすくていいツイートなのかなーと。いやアメリカでも勧善懲悪でわかりやすいヒーローはいるのかもしれませんが、そういうふうに考えると『BLACKFOX』は仮面ライダーとか戦隊モノっぽいのかなーと感じました。小学三年生くらいの男児に観て可愛い女の子が可愛くてカッコいいアニメにハマってほしいですねと悪い顔をしたくなります。最近の子ってその辺の流行りとかどうなんだろう……。

全体的に駆け足気味で説明的な印象はありましたが、視聴者の間口とか年齢層を広げるためのわかりやすさ重視だと思えばスッキリするなーというところに落ち着きました。全体的なコンセプトもわかった上でもっかい観たい気持ちもありますが……上映館が広がらないものか……。

甘っちょろいこと言ったり有能だったりするオボロとかのAMDとか、無条件でずっと優しかったり食事するミアをじっと見てるメリッサとか、クールで人間味ないのにいちばん子供っぽくて親からの愛情がほしかったミアとか、手を汚す覚悟があるのに汚させてくれない周囲があるリリィとか、なんやかんや要素は立っていてキャラはみんな好きになっちゃいますね。総監督がインタビューで応えられてますが、こういう世界にこういう子たちが生きてるという根付き方がしっかりしているので、たとえば他のキャラクターがこの世界でどうにかして生きているのを想像することもできるところもあります。大企業が大きな影響力を持つブラッドシティでその社長を狙う主人公……忍殺とほとんど同じ形ではあるので、同じような感じで妙なサイドストーリーとか入れつつ徐々に真相とか本丸に近づいてくような感じでのんびりじっくり展開してほしいですよね。将棋したり野球したりしゃべるマグロと遭遇したりスシ勝負したりオイランしたり……いやおかしい……。

最初に企画が公表されてから長いことTVシリーズだと思ってたので、TVシリーズで26話くらいやるのもいいんじゃないでしょうか。続編を……じっくり……長めに……。


作画とか



正直あんま詳しくないです。という前提を置いておき、キャラクターはみんな可愛かったし安心して観られる Studio3Hz クオリティでした。やっほいという気持ち! 要所やアクションシーンではよくよく動きますし感情もよく伝わってくるいい絵です。特にリリィの表情にめちゃくちゃ幅があってしっかりキャラに落とし込まれていて、アニメで大正解みたいなアニメですよね。アニメはよいものである……。

劇場アニメ作品というと、やはり手間暇かけた画作りの演出とか、ここ一番でなくともぜいたくな枚数を感じる画面が続くという印象があるのですが、今作ではその辺をあまり感じなかったのがちょい残念ポイントだったかもしれません。TVシリーズでこだわっている作品のクオリティが上がってる……? せいなのかもしれない……。わからない……。

やっぱりTVシリーズ26話編成で与太話とか日常回も取り入れつつやりませんか? やりましょう……。


総評



一本の劇場アニメとして面白いし、情報が公開された当初から超期待していたり、わざわざ遠くの映画館へ出向いて観に行った分は満足しました。楽しかったです。が、最低でもあと一作はやりますよね? ね? 自分が石油王だったら……という無力感がこみあげるまとめ方でもあり、これならあのスキンヘッドはずっと影にいた方がスッキリしたのでは? と思うところもある感じでした。妄想の余地はありつつも空白感とも解釈できる心の余白がしんどくもあり切なくもありという境地に至っています。

『HELLO WORLD』は『天気の子』より面白くて好きという人もいたり、劇伴がカッコよかったという真逆の感想を持つ人がいたりしたので、自分以外の感想も読んだらまた思い持ちが変わるのかなーと。その辺も含めて楽しみたさがあります。しかし昔ほど純粋な目で作品を見れなくなったなーとすごく思いもしますが、いまはいま出来る楽しみ方で行こうとか考えたり。バズりそうなオススメブログ書きとか出来たらいいんですが、『HELLO WORLD』の記事でそのようなことをやってみて、いやそういう才能ないわと悲嘆に暮れたりでした。石油王になりたい。

ブラッドシティの探偵事務所で暗躍する三人組をもっと観たいですし、ひとりひとりが日常で出会ったこととか、それぞれが小さい事件を解決したりとか、タチコマだけのエピソードよろしくAMDだけのエピソードとか観たかったりしますね。考えれば考えるほど……映画でもTVシリーズでも……待ってます……。

自分は完全に『特定のファン層』ですが、もっといろんな人に届いてほしさがわかります。なんかうまいこと広がらんかなーと思いつつ、感想メモはこんな感じで。関わったスタッフの皆様におかれましては今後も応援しとります……! BD買うので! 続編を……。完。




2019年8月1日

「皇千羽鶴の消失」試し読み




このページについて



来たるC96は夏のコミックマーケットにて、サークル「EverSphereMetod」様の新刊「拡張少女系トライナリー情報誌ゾルタクスゼイアンVol.1」へ、二次創作の長編小説を寄稿させていただきました。タイトルは「皇千羽鶴の消失」です。

このページはその試し読みとして、冒頭から文庫本レイアウト換算で50ページ程度を公開していくうちの最初のものになります。コミケの前日まで毎日更新していく予定です。よろしければお付き合いいただき、当日もぜひ本誌を手に取っていただければと思います(ダイレクトマーケティング)。


[関連リンク]


[C96新刊告知]拡張少女系トライナリー 情報誌ゾルタクスゼイアンVol.1 - Togetter

「皇千羽鶴の消失」内容紹介ツイート



表紙




一行あらすじ




・高3の秋、ちーちゃんが自分の進路について悩んだりするお話




皇千羽鶴の消失

 






 領火の研究室。

「じゃあ次の質問ね」

 椅子に腰掛けて向かい合った二人のうち、領火の方が問いかける。

「恋人がほしいと思ったことは?」
「……………………」

 もう片方、千羽鶴はその問いを聞いてスッと表情を失った。
 領火は真剣そのもので、

「…………」

 手にしているバインダーにペンを載せたまま、視線は千羽鶴の眉間あたりにじっと集中させている。シャッターチャンスを狙うカメラマンのように、わずかな変化も見逃さないという意志がちらつく瞳。
 張り詰めた冷たいだけの時間が過ぎて、根負けたように千羽鶴が視線を逸らした。
 続けて、

「……いる。から、ない。と、答えておく」

 小さく途切れ途切れに答えた。
 領火は数秒だけその様子を眺めた後、

「なるほど」

 紙にペンを走らせる。千羽鶴からは何を書かれているのか見えないが、その手先をつい目で追ってしまう。
 書き終えた領火は、不意にからっと笑い、

「ちょっと面白かったからこの方向で行こっか!」
「いや」

 即答で拒否する。

「えー。協力してくれるって言ったのは千羽鶴ちゃんなのに」
「内容によると言ったはず」
「じゃあお願い! あと二つだけ! 絶対に役立つから! お願い!」
「二つというところが怪しい。欲が出てるから一つでもダメ」
「お願い! この世界の未来のために!」
「セクハラと世界の存亡が天秤にかかってるように聞こえる表現はやめて」

 頭を下げて拝み倒していた領火は、はたと気づいたように顔を上げる。あさっての方向を見て「んーと」何かを考えているように見える仕草。
 はっと何かに気づき、深刻な声音で言う。

「すごいよ。セクハラと世界の存亡が両天秤だよ……かつてない状況だね」
「…………本当に?」
「本当だよ」

 領火は椅子の位置と姿勢を整え、背を伸ばし、千羽鶴の方へ前のめりになる。

「私がしようとしてるのは、フェノメノンの蒸着を経て世界になった人物の意識系統へのアクセス。フェノメノンの中がどれくらい無理が通れば道理が引っ込む世界だったか、千羽鶴ちゃんが一番知ってるでしょ? そんな世界が蒸着している現在は、いまいる世界を形成するレイヤーが前例のない状態になってる。私はちょっと詳しいから慎重になら触っても大丈夫だけど、やろうとしてることは大きなリスクが伴ってることには変わりがない。少しでもさじ加減を間違えたら、今度こそ原初ちゃんの意識は消えちゃうのかもしれないし、この世界の構成がどうなるのかもわからないの。今でこそこの《GensyoBox》で——『こんにちわ!』——こんにちは! こうやって簡単な意思疎通は出来るけど、私はあの人格そのものを取り出さなきゃいけない。だから——」

 息を吸って、

「千羽鶴ちゃんが恋人さんと結婚して何歳までに何人くらい家族を作りたいと思うかどうかは絶対に知りたいところなの!」
「ばかなの?」
「できれば男の子と女の子どっちがほしいかも知りたいね!」
「私のプライベートはどこ?」
「千羽鶴ちゃんが答えないならつばめちゃんに聞くよ?」
「一向に構わないけど」
「……だめ! おもしろ……正確なデータが取れないから!」
「どーん! ダウト!」

 ごちゃついた押し問答がいくらか続き、

「じゃあこれは諦める。二つまでって約束だからもう一つは答えてね」
「成立してない約束を持ち出しても無駄」
「まあまあ。真面目な話だから」

 言うと、領火は手にしていた紙とペンを机に置く。
 そうしてから千羽鶴ともう一度向かいあって、静かに問いを投げかける。

「結局、千羽鶴ちゃんの進路はどうなったの?」

 にこやかに余裕を持って。
 本当に実験の役に立つのかはさておいて、一人対一人の会話を始めたいといった様相の領火。それを察して、きっかり五秒ほどをかけて判断する。
 千羽鶴は、自分の頬に手を当てて変に緊張していないかを確かめる。こわばってもいない、にやけたりもしていないことがわかる。そうした予兆も感じない。
 ココロの準備よし。小さく息を吸ってから、

「……決まった。こないだ」
「わ。すごいね! よかった!」

 ぱちぱちと手を鳴らす領火。

「で、何に決めたの?」
「……面白くないけど」
「べつに面白くなくていいよ」

 う、と目を眇めてしまう千羽鶴。もう一度自分の頬を片手で覆いながら床を見て、壁を見て、領火の半円を描いている口元を見た。

 ……ずるい。

 真幌はちゃんと大人をやっているけど、領火は素で大人をやっている。たまにこういう事故で動揺させられてしまう。千羽鶴が知る中では一番ずるい大人。

「あー……」
「ん?」

 ごく自然に詰めてくる領火。やはりあのアーヤの姉なんだなと初めて気付かされる。遠いつながりかもしれないけど、領火は擬似的な母親と捉えることもできる。そんなことが頭をよぎり、千羽鶴は妙な混乱に陥ってしまう。進路希望の報告も親子としての通過儀礼のひとつ? わからない。
 千羽鶴は頭を振る。いやいや、と余計な考えを振り払う。

 ……よし。

 自分でも説得力があって、誰に言っても恥ずかしくない、自分らしい目標だと思えている。だけど、実際に口に出そうとすると気恥ずかしさが強い。知らない人に道を尋ねるような、道へ落としたものに気づかない人へ知らせるときのような、そんな緊張感。先行きのわからない不安。
 思っていることを言葉にするだけ。
 千羽鶴は息をひとつ吸って、

「私は——」



   1



「——いま考えなきゃだめですか?」
「当然。遅すぎるくらいだ」

 総務省情報管理庁付属学園高等部、その生徒指導室。
 机二つを挟んで向かい合っている二人は、東雲真幌、逢瀬千羽鶴の二人。

「大体なぁ。おまえの転入は特例だったから進路を決めるのは遅らせても構わないと言ったが、本当にここまで引き延ばすやつがあるか?」
「まだ普通の女子高生をしてたいので……」
「もう十分やっただろう。そのための引き延ばしだし、腹を決めるときが来たと思え」

 真幌は千羽鶴の机に置かれた書類をボールペンでカンカン叩く。その書類には『進路希望調査票』と書かれており、

「二年生のガブリエラは既に第三希望までちゃんと埋めてる」
「……」
「実際に困るのは私じゃない。おまえだ、千羽鶴。東京から実家に帰るのか? 姉に養ってもらうつもりか? 女子高生を楽しんだだけで十分だと言うのならそれで構わないが、一時は情報管理庁の長官を務めていた人材だ。私としては帰ってほしくはないし——」
「その頃の私は関係ありません」

 教師である真幌の言葉をぴしゃりと遮る。
 真幌は語気を緩めない。

「それならそれでいい。花屋にでも飯屋にでもキャリアウーマンにでも何にでもなるといい、おまえなら何をやってもそこそこ上手くやれると私は思う」
「……」
「私に用意できる仕事を振ってやってもいい……だが、それをするにしても」

 目を見て言う。

「ちゃんとおまえが決めろ。わかったな」
 
   ▶
 
 真幌のことは尊敬している。素直にすごい人だと思うし、褒めちぎられたことはちゃんと嬉しい。千羽鶴が見つけられた、数少ない信頼できる大人。
 だけど、

 ……わからないものはわからない。

 寮の自室で進路希望調査票と向き合う。だけど何も浮かんでこない。眺めていれば何かが浮かぶ訳ではないともわかっている。

 ……何をすればいいのかわからない?

 帰宅して制服姿のまま、机にそれを置いて、着席して考えること三十分ほど。何となく部屋の片付けをしてみたり、お茶を入れてみたり、お菓子をかじってみたりしていた。進捗は特になし。

 ……わからない。

 お茶をすすりながら思う。どうしてこのままではいけないのだろう。社会の役に立たなくてもいい人材が一人や二人はいなくてもいいんじゃないか。私は長官時代の給(検閲されました)しばらくは困らない、と千羽鶴は思う。
 自分は十分に働いていた。国家の存亡に関わる事案への対処に、なぜか齢十五歳ほどの一般的な少女だった自分は、長官として組織を動かして対応していた。その間にどれくらいピンチが訪れ、自分が率先して対処しただろうか? 功績を考えれば島のひとつや二つは安いもののはず。

 ……完全に出来レースだけど。

 それに、昔のことはどうでもいい。自分とは関係のないことだ。
 いまは『普通の女子高生』。皇千羽鶴ではなく、逢瀬千羽鶴。
 これからは逢瀬千羽鶴として生きていくと、ずっと前に決めていた。

 ……どうやって?

 それらしい情報を検索したり回したりしてみる。『やりたいことをやれば幸せになれます』『適性結果は芸術家・思想家です』『これからは手に職をつける時代です』『ぬいぐるみの作り方』『縫製技術』『ハリネズミの生態』『生地の販売』……。
 はっと気づけば三十分も経っている。また時間を無駄にしてしまっていた。

 ……やりたいことか。

 ハマっているのはぬいぐるみ作り。手作りアーティストにでもなればいいのだろうか? 真幌が言っていたことを思えば、何だかんだでそこそこ上手くやれるのかもしれない。けど、自分が作ったぬいぐるみに経済価値を見出す人なんているのだろうか。わからない。とんでもなく険しい道のりであることは確かだ。
 とりあえず却下して、もうひとつ。いまやりたいこと。
 やらなければいけないこと。

「……行こう」

 千羽鶴は、自室である103号室を出て上の階に向かう。
 
   ▶
 

「あっ、来た来た~。用事は済んだの?」
「うん。終わった」

 ウソだった。
 千羽鶴がやって来たのはつばめの部屋。つばめは制服姿でノートパソコンに向かっており、傍らにはスマホとアナログ手帳。それには『ネイエ・インストゥルメンツ』に所属するマネージャーとしてのスケジュールが書き込まれていることを千羽鶴は知っている。
 後ろ手に扉を閉めてから、つばめの向かい側に座った。

「結局なんだったの? 東雲先生に呼び出されたなんて」
「心配ない。私が卒業したらどうなるかについて聞いた」

 つばめはノートパソコンを閉じ、両手を膝の上に落ち着けた。少し考えてから、

「あっ、そっか。ちーちゃんは転入自体が特例だったからちょっと事情が違うんだよね」
「そう。天下り特権」

 ニヤリと笑って見せる。

「天下り特権……なんかすごいね!」

 ぱっと笑うつばめ。みやび辺りなら「お主も悪よのう」とか完璧な対応をしてくれそうなものだけど、つばめにそれを求めるのはまだ難しいようだった。

「で、天下りってなぁに?」
「……公務員の出世競争で負けて仕事を失った人が、斡旋を受けて別の仕事に再就職すること。一般的な認識ではずるい、黒い、癒着を招くとして否定的に見られている」
「ちーちゃんは負けたの? 長官さんなのに?」
「……負けてない」


「ふーん」

 少し間があり、

「卒業したらどうするか決まったんだ?」

 無邪気に問い詰めてくる。予想の範囲内ではあったので、千羽鶴は平静を乱さず、

「これから決める。けど、一貫校だからそのまま進学するかも」
「そっかぁ。専攻が決まれば大丈夫って感じ?」
「……うん」
「何か希望はあるの?」
「……一応。まだ決めきれてないけど」
「そっかー……」

 くるくるとボールペンを弄ぶつばめ。千羽鶴にはわかる。

 ……心配されている。

 逢瀬千羽鶴として出会った頃は、双子の姉妹として過ごすと決まった後も、しばらくは知りあい同士・友人同士のような関係性でいた。いつしかお互いに慣れもあり、今のようになんだか姉らしく妹の心配をしたりする。
 千羽鶴としてはつばめも同じように心配だったりする。

「お姉ちゃんは、進学しないんだっけ」
「え? そうだね、このまま事務所の方で働くよ。もう早希さんからいろいろ仕事を教えてもらってるし、だんだん規模も大きくなってきてるし……劇場のバイトも続けたいけど」

 困ったように眉尻を下げて、

「ちゃんと雇ってもらえるようになったら、カフェは辞めなきゃだめだよね。とっても寂しいけど……」

 あははと笑い、「お茶淹れてくるね」と席を立つつばめ。
 自分を横切ってキッチンに向かうつばめを横目に、そうか、と千羽鶴は考える。あのカフェも一区切りになる。
 元は五人でやっていくつもりだったらしい神楽坂トライナリー劇場のカフェは、千羽鶴もバイトで参加するようになっていた。特別攻撃隊としての仕事が落ち着いた直後はみんな揃っていたことが多かったが、

 ……だんだん私が出ずっぱりになってた。

 言わずもがな、神楽とつばめはそれぞれの仕事に。アーヤは卒業に向けて、みやびはフランスとか、ガブリエラは新しくやりたいことが出来たとかで用を持つのが多くなっていた。千羽鶴だけが安定してカフェに入ることが出来る日が多くなり、自然と看板娘の地位をどーんしたり。

 ……本当に、卒業した後はどうなるんだろう?

「ちーちゃん、はいお茶」
「あ。……ありがと」

 お姉ちゃんの給仕役は久しぶりに見たかも、と静かに感慨。つばめが着席してから手を付ける。美味しい。
 そして、ふと思いつく。

「お姉ちゃん」
「ん?」
「私が卒業したら、神楽坂の劇場で働き続けられると思う?」

 これはなかなかいい気がした。真幌に確認してみないことにはわからないけど、いま業務を支えているトライナリーのメンバーは、残念ながらずっと働き続けられる訳ではない。映画館として維持するためのスタッフも足りなくなるだろう。自分もそれは嫌だし、それを支えるのはナイスアイデアだと思える。
 つばめはぱぁっと笑う。

「いいかもね! ちーちゃんはいろいろ仕事できるし、私もいずれは辞めちゃうだろうし……みんなもわからないし……うん……」
 言いながら顔を伏せ、静かになっていくつばめ。「……?」千羽鶴がつばめの顔を覗き込むようにすると、

「あっ、違うの。なんか、そういう時期なんだな、って思っちゃって」

 両方の手のひらをぱたぱたと振って「違うよ」アピール。そうしてから、つばめはその手を膝の上に置く。

「私と神楽ちゃんが進学したら、みやびさんとガブちゃんとちーちゃんとで一緒にまだ学生してられるけど……アーヤさんは実家に帰っちゃうだろうし。神楽ちゃんは進学に興味なさそうだし、私は早く一人前になりたいし……」
「……」
「寂しいね。けど、みんなやりたいことに向かって動いてるわけだし」

 つばめは紅茶に砂糖を振りかける。ティースプーンで軽くかき混ぜながら、

「ほんとにいろいろあったけど、楽しかったなぁ」
「……ごめん」
「? なんで謝るの?」
「なんでもない」

 咄嗟に口を突いて出てしまったけど、双子になる前のこと——東京ドームでのあれこれ以前——は言いっこなしという暗黙の了解があった。千羽鶴は紅茶で口を潤してから、

「劇場の仕事は東雲先生に確認してみる。本題に行きたい」
「あっ、そうだね。早く進めなきゃ」

 やりたいこと、やるべきことがある。
 つばめは手帳を取り出してぱらぱらとページをめくり、

「えーっと、まずは当日の予定と場所取りね。これは大丈夫でした!」

 十二月のページを千羽鶴に見せつける。年末に向かうほど書き込みが多くなっているが、月の頭、六日には星印が打たれていた。
 十二月六日。その日に行われるのは、

「神楽ちゃんの誕生日会! 神楽坂トライナリー劇場を貸しきって実行できることになりましたー!」
「ど——」

 リアクションの直前、電話が鳴り響く。つばめのスマホへの着信。

「……ん」
「うわぁごめんね! ごめんね! ちょっと出てくる!」

 つばめはスマホを持って部屋を飛び出していく。マネージャーの仕事を始めてからそこそこ経つはずだけど、まだ慌ただしさの化身みたいな様子がちらほら見て取れる。

 ……早希さんとどんな風に仕事してるんだろう。

 直接会ったことはないが、つばめや神楽から聞くイメージとあまりに対照的すぎて心配になってくる。卒業したらすぐ正式に雇ってもらえるそうだけど、果たして本当に平気なのだろうか。心配事は絶えない。

 ……でも、お姉ちゃんは自分よりずっと先にいる。

 逢瀬千羽鶴とはモラトリアムそのものに近い、と自分自身で考えているところがある。生まれたときからそうだったし、ずっとそうして過ごしてきていたから、これからもそうなのかもしれないと予感してしまう。お姉ちゃんはどんどん遠ざかっていくような感覚があるけど、物理的に離れてしまうわけではない。ツアーで全国を回るようにでもなれば話は別かもしれないけど。
 千羽鶴は紅茶を飲む。

 ……進路希望、出さないとダメなんだろうか。

 考え込んだとき、

「ちーちゃん」

 いつの間にかつばめが後ろにいる。不意を突かれすぎて紅茶が逆流しそうになったが、なんとか喉元で取り留めた。
 つばめは何だか参ってしまったような様子で、千羽鶴のことを一度は呼んだものの、特に言葉を続けるでもなく元の席へ戻っていく。ここまで悲しそうな様子は、チケットが落選したとかでもなければ見ることが出来なさそう。

「ちーちゃん……」
「何……?」

 あまりにもタイミングが良すぎるので、もしかしたら……と予感する。逢瀬つばめなら芸術的にフラグを回収しかねないと経験が言っている。千羽鶴は心構えを済ませたが、

「東雲先生が困ってるって」
「え?」
「お父さんに連絡したって」
「……ん?」
「まずは私から話してって」
「……」
「ちーちゃん?」
「はい」

 つばめは怒っていない。この姉は本当に怒らないので、強めに当たられるようなことはまずない。ただ淡々と、千羽鶴の罪悪感につばめ自身の困惑や悲愴感を直接塗り込んでくるような、そんな語り口。

「困ってたなら私に相談してほしかったな……」
「いや、その、進路の話はさっきで……」
「そうなの? でも、部屋に入ってきたとき、用事は済んだって……」
「……」

 豪雨のなか道端に捨てられた子犬のような、あまりにも可哀そうなつばめ。千羽鶴は軽く取り乱してしまいそうで、しかしそうすることも許されない。

「とりあえずね? お姉ちゃんは、お姉ちゃんらしくしないと……って……」
「……?」
「思うからね……ちーちゃんには、宿題を出します」

 つばめはそう言って、手帳に何かを書き込んだ。そして千羽鶴の目の前に、真幌が進路調査票を差し出したときのように、スッとその手帳を差し出す。
 事ここに至って、ようやく千羽鶴は自分が大変なことをしたのだと自覚した。
 つばめは文面から読み取れる内容を音読する。

「ちーちゃんは、自分の進路希望が決まって東雲先生に報告できない限りは、神楽ちゃんの誕生日会には出席できません」

 一息吸って、

「劇場を会場として使わせてもらってるのに……無視してパーティーだけには出るなんて出来ないもんね……ちーちゃん……」

 つばめは、千羽鶴が思っていたよりずっと大人の世界を学んでいた。

   ▶ 

 パステルブルーの小洒落た扉を開くと、千羽鶴は慣れた手順でオーダーを行い、いつもと同じ席へ腰を落ち着けた。コートを脱いで制服姿になり、手袋を外し、目当てのものがやって来るのをぼんやりと待つ。

 ……ここは『好き』。

 少し待っている間に、勝手に仲良くなれたと認識している一匹がやって来る。店員さんもそんな感じのことを言うので千羽鶴は嬉しくなる。すっかり常連。
 ケースに入っているのはハリネズミ。
 のそのそと動き回る手のひらサイズの可愛い生き物。眺めてよし、触れてよし(軍手オプションあり)、抱えてよしの愛玩動物。にわかに流行の前兆を見せているハリネズミカフェ(千羽鶴調べ)は、すっかり千羽鶴のお気に入りだった。

 ……可愛い。

 眺める。このカフェから一歩でも外に出れば、忙しない日常や行き交う人々にどうしたって呑まれてしまう。東京の観光地近くともなればなおのことであり、しかし、この場所は特別。小さな動物の主観時間はとても早く流れていくと聞くけど、そんなことを感じさせないのんびりさ。気ままさ。こじんまりとした手足。ネズミと名付けられつつ実はモグラの方がずっと近いという曖昧さ。

 ……なんて可愛らしい。

 そのうち、店員さんがドリンクを運んでくる。小さく会釈をして受け取り、脇に置いておく。またハリネズミを眺める。たまにつついてみたり、手袋を置いてやり、ネコ科動物のごとくその中に頭から突っ込んでいくさまを見たり。
 ハリネズミは好きだ。時間は無闇に過ぎていく。
 頭が抜けなくなっていたようで、軍手からハリネズミを引き抜いてやると、

「こりゃ可愛かねえ」

 言いながら、隣に座ってくる人がいた。

「みやび先輩。……触りますか?」

 手袋を渡す。
「いいんか?」とそれを受け取り、おそるおそるハリネズミの背中を撫でる。「おぉ……なるほど……おぉ……」と、針というよりは毛並みに近いそれをゆっくり擦るようにする。
 恋ヶ崎みやび。服装は出会った頃と変わらず、深い緑色の着物を纏っている。浅草付近の立地なのでむしろ馴染んでいるように思え、かといって電車の中で出会っても自然な着こなしゆえに溶け込んでいそうな風体。高校を卒業してからの変化と言えば制服姿を見なくなったくらいで、千羽鶴の目には逢瀬妹として対面した頃からあまり変化がないように見える人物。
「うりうり」とハリネズミを弄ぶみやび。「そぉーら高い高い」両手で水面をすくうようにしてハリネズミを抱え上げ、ゆるく上下させて楽しませる。「愛いやつめ」と降ろしてやっている。

 ……手慣れてる。

 実は動物を飼っているんだろうか、と思い、

「待ち合わせ、ここでよかったんですか?」
「あ? あー、構わんよ。近くに寄る用事があったき」

 ハリネズミを軽く撫でながら、

「しかし千羽鶴ちゃん、ええ趣味しとるなぁ。うちも気に入ってしまった」
「ありがとうございます。声をかけて頂ければいつでもお供します」
「なはは。うちがお供させてもらう方ちや」

 千羽鶴は、みやびに対して意識的に敬語を使う。その方が『逢瀬千羽鶴っぽい』と感じたから。以前は立場のこともあって砕けた話し方だったけど、先輩後輩の立場とあってはこの方がしっくり来る。

「それでですね……」

 千羽鶴は自分のかばんを開け、目的のものを取り出す。

「これなんですけど」
「んー? レターセット?」

 みやびに差し出したのは、淡い紫色に和柄があしらわれた封筒と便箋。みやびはそれを受け取ると、「ふむ」ひっくり返したりしてみる。そうしてから、

「これはあれか。つばめちゃんが作ったんか?」
「……わかりますか?」
「いい意味でな。まっこと個性を感じゆう」

 可愛かねえ、と封筒を眺めるみやび。口元には微笑をたたえている。

 ……すごい。

 そうだと気づくみやびも、それを作ったつばめもすごい。

「つばめちゃんはこういうのを作る仕事もしてるんか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……出来たらいろいろ役立つんだよとは言ってました。グラフィック関連も使えるようになれば、印刷物系の必要なものをわざわざ外注したりしなくて済むとか」
「マネージャーとは名ばかりやなぁ。小さい芸能事務所となると、まぁそんなもんかなってイメージもあるが」
「私もうまく利用されてるように思えるんですけど……いつも自主的にやってて」
「……事務所どころか、卯月家に嫁入りでもする気なんかねえ」
「ありえそうです」

 お互いに力が抜けた笑いを漏らす。神楽ちゃんの役に立ちたいんだ、と嬉しそうに言うつばめの笑顔と声色がすぐ頭に浮かぶからだ。
 ひとしきり笑ったあとで、

「まぁまぁ。これに卯月へのメッセージを書けばえいんやね」
「そうですね。みんなで書いて渡そうと思ってます」

 あいわかった、と懐に収めるみやび。ちょうどみやびの分の抹茶ラテが届き、軽くそれで口を潤してから、「んー……」何か考え込む仕草。

「……?」

 味が気に入らなかったのだろうか、と思わされるタイミング。ここはペットカフェとはいえ味にこだわりがあると打ち出しており、千羽鶴もそれは実感していたから少し考え込んだ。

 ……なんだろう。

 その間を突くように、

「千羽鶴ちゃん、進路は決まったが?」
「ぅえ?」

 変な声が出てしまった。その様子を見てなのか、みやびはしたり顔で、

「いやあ聞いてしまったんよ。つばめちゃんが連絡をよこしててな、これから千羽鶴ちゃんと会うかもしれんけど、本当は危ない状況だと言っとった。早く進路を決めないと本人にとって良くないとな。けど誕生会の準備で動けるのは千羽鶴ちゃんしかおらん、とも」
「……ほんとですか」
「そやね。まっこと『お姉ちゃん』しとるねぇ」

 くすくすと上品に笑い、

「で、こうも頼まれちゅう。私じゃ話しにくいかもしれないから、時間があったらで構わない、千羽鶴ちゃんの相談に乗ってやってくれと」
「……………………」
「おぉ。千羽鶴ちゃんのそんな顔を見るのは初めてやねぇ」

 言われてすぐに両手で頬を覆った。軽く音が鳴ってしまい、千羽鶴は余計に恥ずかしくなってしまう。よく来るお店なのでさらに気になる。そのまま俯く。
 顔を上げられないでいると、くいくいと制服の腕あたりを引かれ、

「千羽鶴ちゃん。ほれ、ハリネズミくん」

 目の前にハリネズミの顔が現れる。みやびの手のひらですくわれるようにしているハリネズミは、しかしケースの中にいるときと様子は変わらない。飼い犬のように人間を気遣うような様子もなく、すんすんと鼻先を動かしている。何とも気まま。

 ……可愛い。

 千羽鶴は指先を持ち上げて、ハリネズミの頭を撫でてやる。それも意に介さないといった様子が少しおかしく、自然と笑顔になってしまう。

「もうええが?」

 言いながらみやびは、ハリネズミをケースに戻す。千羽鶴はほとんどそれを追いかけるようにして顔を上げ、自分の分のドリンクに口をつける。飲み干してから、

「あの……」
「正直なー、うちと千羽鶴ちゃんだとタイプが違うかなと思わんでもない」

 千羽鶴が何か言いたげなのは察してなのか、その上でみやびは話し始める。

「可愛い後輩やき、相談に乗ってやりたいのは山々や。けどウサギ……光月さんならともかく、後輩の中でも千羽鶴ちゃんはうちの感性とだいぶ違うとこがあるやろ」
「……そうでしょうか」
「うちはそう思うよ。まぁ、それを分かった上でなら、相談に乗ってやりたくはある。何でも話してみぃ」

 自信満々に微笑むみやび。つばめとの姉歴の差を感じた千羽鶴は、

 ……確かにお姉ちゃんには話しにくいかもしれない。

 みやびと比べるのは実際かわいそうだが、直面してしまってはどうしても比較してしまうところはある。千羽鶴は自分の妹力はどうなんだろうと考えつつ、

「わかりました。お願いします」

 しっかりお願いする。
 
   ▶
 

「何がわからないかわからないんです」
「……正直でえいねえ」

 みやびはくくくと笑う。千羽鶴はその笑いが移って、しかし困ったようにしか笑うことは出来ない。

「プログラミングでよくあるんよ。何がわからないかわからない問題」
「そうなんですか」
「そうよ。独学の場合はこれに引っかかって大半は挫折しゆう。重大な問題ちや」

 みやびはハリネズミの鼻先数センチのところに手を置いて、わしゃわしゃと誘うように指先を動かす。ハリネズミは興味を引かれたようにやってくる。

「こうしてな、誘導してくれる人がいれば話は違う。無闇な努力は何も生まん。目的がしっかり定まっているか、あるいは導いてもらえなければ、どこに行けばいいかすらわからなくなって動けなくなってしまう」
「……」

 みやびの指先を追いかけるハリネズミ。その手を引っ込めると、数秒で何事もなかったかのように振る舞い始める。

「目隠しして迷路のゴールを目指そうって話や。その目隠しを外してくれるのが先生だとか、本とか映画とか、まあ人によってそれぞれ違うが。目的を与えてくれるものとか、それの達成を助けてくれるものちゅうことやき」
「目的……」
「そう。目的」
「先生とか、本とか映画が?」
「あー。これは『助けてくれるもの』かもしれん」

 みやびは窓の外を見て、

「結局のところ、目的自体は自分で見つけるべきものやき。それを尊敬できる先生、先輩についていくこととするとかでも構わん。信頼できる人物の原動力を助けることも立派な目的になりうる。……光月さんはそれっぽいな」

 ちょっと恥ずかしそうに笑うみやび。

「千羽鶴ちゃんにはそういう人はおるが?」
「……心当たりは」

 ぱっと浮かんだのは、東雲先生。けどその気持ちは、東雲先生が過去に自分を導いてくれた頃の記憶がそうさせているところが大きいかもしれない。

 ……いまはどうだろう。

 相変わらず情報管理庁の重要な立場にいることは変わらないし、本人への尊敬も変わらずにある。しかし、そこに自分の目的として抱ける何かがあるとは思えない。あの人のもとで働く、というのも何か違う気がする。

「そんなら、自分で何か見つけるのがえいね」
「自分で……ですか」
「うん。まぁ正直、うちにはそれをどうしたらえいかなんてわからん。付属大学の同期たちはな、縁故か明確な目的がなきゃこんな大学には来ないやろっちゅう連中ばかりや。進路に悩んでるようなやつはそもそもおらんちや」

 みやびは「正直なとこ息苦しいね」と続け、

「うちの目的は、情報管理庁に就職することやない。公務員なんてまっぴらごめんやき」
「確かに想像できませんね」
「なぁ」

からからと笑い、

「じゃあ何でわざわざ単位を取りに行ってるかと言うとや。あの大学には最先端の設備と技術が集まってるからに他ならない。それに特別攻撃隊としての活動もあって、いまのところスパコンも貸与してもらえちゅう。うちが望むものを手に入れるにはうってつけの環境というわけや」

 千羽鶴は、窓の外を眺めながら話しているみやびの横顔を見る。だんだんと笑みは薄くなっていき、力の入っていない自然な表情。話し声も淡々と。

「して。息苦しいとこに通ってまで勉強するのは何故かと言うとや。うちは領火さんの助手として働いてみたいと思ったからやき」
「……初耳です」
「そやったか? まあ、うちにとっては自然なことやね。間違いなく歴史に名を残すような人が身近におったら、よっぽど自分の人生で大事にしたいことがあるとかでなければ、ついてきたいと思うのが普通と思わされた。それくらいの人ちゅうわけや」

 そこまでなのか、と千羽鶴は思う。みやび自身も相当な技術者であるはずだが、やはり領火は雲のずっと上の存在ということか。
 みやびは抹茶ラテをかき混ぜながら、

「うち自身の目的もあるにはある。けどそれは、領火さんのところで研究したりすることで進められることでもある。うちにとっては好都合のお祭り騒ぎ案件となる」
「なるほど……」
「……ここまで話してわかったかもわからんが」

 みやびは不意に千羽鶴の方を向く。いつになくまじめな顔。

「うちには明確な武器と、目的と、好条件な目指すべき場所がはっきりとある。正直なとこ、恵まれてる。言ってしまえば、普通に仕事して暮らすなら働き口はいくらでもありゆう」
「……」
「千羽鶴ちゃんは長官だった過去がある。けんど、あまりそれには触れられたくないんやろ?」
「……」

 こくんと頷く。見透かされている。

「じゃあ、経歴や東雲先生とのコネを使って管理庁に進むのはなしや。そうなると千羽鶴ちゃんは、たぶん千羽鶴ちゃんが望んだとおりの『普通の女子高生』や」

 言いきって、間が置かれる。みやびは千羽鶴の目元をたっぷり三秒は覗き込んでから視線を外して、ハリネズミの方を見やる。気ままな愛らしい生き物。

「うちの持論やけど。さっき言うたとおり、人は目的地がないと進むことはできん。導いてくれる人やものがなければ、どこにも行けずに立ち止まってしまう。学生のほとんどがそうならないのは、学校を出て就職するという『普通』のライフプランがどこからか示されてるからやな」
「普通……」
「うちは千羽鶴ちゃんなら、たぶんつばめちゃん以上に、どこでもうまくやっていけると思う。劇場での働きぶりを見ればわかるし、並の頭に管理庁のトップはできん」

 東雲先生にも同じことを言われた、と千羽鶴は思い返す。

「うちからあーしろこーしろとは言うことはできん。けど、何がわからないのかわからないんだったら、うちが人生をどうするか決めたときの考え方は話せると思うた。だからこの話をしとる……んやけど……」

 急に語尾が弱まるみやび。千羽鶴はみやびがハリネズミを弄ぶ指先を眺めていたけど、「あー……」と声を漏らした横顔を見やる。心なしか耳が赤い。
 そして突然頭を抱えた。

「……まじめすぎたか!」

 かーとかくぁーとか言いながら悶絶し始めるみやび。千羽鶴は一瞬だけ面食らってぽかんとしてしまったが、すぐに可笑しくなり、控えめながら笑いだしてしまう。
 ひとしきり済んだあとで、

「ありがとうございました。とても参考になりました」
「そんならえいけど……」

 笑われたのが気に入らないのか恥ずかしいのか、みやびは言いながらも口先を尖らせる。千羽鶴はまた笑ってしまいそうになるが、

「お礼と言ってはなんですけど、オススメをおごっちゃいますよ」
「……ほう?」

 いったん席を離れ、カウンターにいる店員さんにオーダーを伝える。席に戻るとみやびは既に調子を取り戻したようで、いつもの余裕を感じさせる佇まい。

「千羽鶴ちゃんがそこまで言うのは、期待してもええが?」
「もちろんです。ばっちり期待してください」
「おぉ? それは楽しみやねぇ」

 そして間を置かず、店員さんが『オススメ』を運んでくる。どうぞー、と言いながら机に届けられたそれは、

「これは…………?」

 お菓子のようにもおがくずのようにも見える、奇妙な形をした小さく細かな棒状の物体。深い茶色をして、お世辞にも食欲をそそるとは思えないそれは、

「ドライミルワームです」
「ドライみる……何?」
「ドライミルワーム。乾燥させた虫です」

 みやびの目が点になる。千羽鶴が予想したままの反応。
 添えられていたピンセットをスッと構え、

「こうします」

 いくらかドライミルワームをつまむと、ハリネズミにそれを差し出す。
 ハリネズミは目の前に現れたそれを、少し確認するように鼻先でつつく。そうしてからすぐに、

「おぉー」

 もそもそと食べる。みやびは小さく感嘆をあげ、千羽鶴は人知れず薄めのドヤ顔。二回三回とそれを繰り返して、「うちもやる」みやびがピンセットを受け取る。
 こなれて来ると、ハリネズミがおやつ(四○○円)を食べるピッチが上がっていく。カリカリと食べる姿は何とも言えず愛らしい。
 千羽鶴とみやびは、わぁとかおぉとか言いながら餌付けに夢中になっていった。

   ▶
 
 カフェを出てみやびと別れた千羽鶴。
 次の目的地へ向かうため、最寄りの地下鉄駅を目指していた。道を歩きながら考えるのは、

 ……思ったより濃かった。

 みやびがしていた話について。
 千羽鶴が待ち合わせ場所をハリネズミカフェに指定したのは、偶然みやびと会うには都合がいい場所だったことと、考え込んで疲れた頭を癒やすためだった。あそこは千羽鶴が見つけたお気に入りスポットで、今日のようにぐるぐるしてしまっているときにはピッタリの場所。
 だったけど、考えていたよりもつばめが用意周到だった。気遣いが出来る子であるとも言えるが、千羽鶴にとっては不都合なところもある。

 ……トータルで見たらプラスかもしれないけど。

 みやびの話は、実際のところ参考になった。まったく指標がないところから考えるよりはずっといい位置に進めたと思える。それに、自分からはとてもではないが相談しようなんて発想もなかったはず。

 ……感謝すべきか。

 頭を空っぽにしてハリネズミと遊びたかった気持ちはある。だけど、自分を心配して手を回すまでしてくれた姉には感謝が先立った。何かお土産を買っていこうと決めつつ、千羽鶴はたどり着いた駅の入口階段を下っていく。
 
   ▶
 
 地下鉄から有楽町線へ乗り継いで、向かった先は江戸川橋駅。駅を降りたら歩いて数分で目的地へたどり着く予定。神田川に渡された橋を通り、マップアプリの誘導に従ってすとすと歩く。

 ……着いた。

 コンビニや小さな商店が立ち並ぶ郊外の道路。そこに突然現れる、周囲とは雰囲気が異なるオシャレかつ大きな建築物。区民センターだ。
 待ち合わせは入口付近。行き交う車や自転車、周辺住民と思われる人々を見送っていると、

「あ」

 見覚えのあるバイクが走り込んできた。遠目から一見しただけでもよくわかる、他のバイクとは一線を画するスタイリッシュさ、鮮やかなブルーのカラーリング。忍者の名がつけられたそのバイクは、やや離れた駐車場に入り込んでいく。
 少しして、

「おまたせ!」

 直接会うのは久しぶりになる、アーヤが現れた。
 
   ▶
 
 國政綾水は去年に大学を卒業していた。
 実家が名のある神社であり、事実上、その神社における唯一の跡取り候補になっていたアーヤ。政府直属の特別攻撃隊・トライナリーとして活動する事もあり上京してきていたが、その期間も終わりということになる。
 しかしながら、世界の蒸着を経て世論は一変していた。量子テクノロジーによる奇跡を筆頭に、フェノメノンを発端とする日本で起きた一連の事件は強い衝撃を巻き起こす。世間の表層では数ヶ月で落ち着きを取り戻したことになっていたが、もちろんそんなはずもなく、諸外国からの牽制や斥候はいくらでも日本に入り込んできていた。
 そんな情勢の中でアーヤは、トライナリーのリーダーとして活動していた実績を(真幌から無理やり)認められ、卒業後も情報管理庁での職務に従事してほしいという辞令が(真幌から無理やり)下されていた。もちろん國政家から反対が噴出はしたが、アーヤ自身の意志もあり、二年以内という期間で活動を行うことに決まったらしい。
 千羽鶴からすれば、卒業したあとの彼女は特に変わらない。みやびのように制服を着なくなったという変化もないし、相変わらずとらいあんぐるに住んでいるし、公務員として(基本は)九時五時で働き出した以外はほとんど以前のアーヤと同じままだ。

 ……私が変わってないからそう感じるだけかも。

 そんな風に思いながら、

「はーいみんな! こんにちはー!」

 こんにちわー、と子どもたちの元気な返事を聞くアーヤを眺める。
 アーヤが職員並に馴染んでいるように見える、大学時代からよく通っていたという幼稚園に来ていた。
 千羽鶴は教室の隅っこに体育座りをしており、高校のそれよりかなり小さなスケール感の内装に新鮮さを感じたりしている。幼児が過ごしやすいように揃えられた大きさの下駄箱、椅子や机、膝より下の位置にある本棚とか。自分が巨大化したかのような錯覚を覚えるくらいには新鮮。

 ……そもそも通った記憶がないし。

 千羽鶴はこの日、幼稚園へは見学に来ていた。アーヤは休日のプライベートな時間を幼稚園でのボランティアに当てていて、どうせ会うなら見ていきなよというお誘いがあったので、ここに入り込めている。

「……」

 アーヤの紙芝居は実に達者なもので、聞き取りやすくゆっくりとした語り、幅のある声量と表現、演技がかった身振りも含めて子供たちをよく惹きつけている。伊達に賞を取ったりしていない。
 すごいなぁ、と思う。『普通』の自分とは大違いだと。
 
   ▶

 アーヤ劇場の終演後。子どもたちが帰宅したあとの教室内で、千羽鶴とアーヤは二人でいた。

「千羽鶴ちゃん、どうだった? 私の紙芝居」
「……すごかったです。さすがに年季を感じました」
「そうでしょう? やると決まったらずっと練習してるからね」

 ドヤ顔のアーヤは、自作しているらしいドリンクが詰まったタンブラーに口をつけてぐいぐいと行く。

「ずっと練習してるんですか?」
「? そうだけど?」もう一度タンブラーに口をつけ、
「彼氏とかいないんですか?」

 んぶぐとかそんな感じの声が漏れ聞こえ、アーヤが飲み物を喉に詰まらせたことに千羽鶴は気づいた。慌てて立ち上がって丸まった背中を擦ってやる。
 アーヤの咳き込みが収まったあと、

「大丈夫ですか」

 声をかけて確認する。アーヤはハンカチで口元を拭ってから、

「まだ全然行き遅れてないから!」

 詰まらせた影響もあるのか、少し涙目になって千羽鶴をにらむアーヤ。妙な迫力があって千羽鶴は「すみません……」と小声。行き遅れについて聞いたのではなく体調について大丈夫かと聞いたのだけど、言い出せるような雰囲気でもない。
 千羽鶴はどこかで見たイカズゴケアーヤについて一瞬だけ思い出したり、早婚の杖とか我ながらすごいセンスだなと考えつつ、

「本題なんですけど」

 嫌な流れを断ち切るべくかばんを漁る。みやびに渡したのとは色違いのそれを探り当て、

「これです。レターセット……」
「……」

 アーヤは妙な沈み方をしてしまっていた。

「そもそも大学でまともな出会いがなかったのに管理庁で出会いがあるわけないのよ……上司はだいたい先輩だし……トライナリーだとか館長直々の推薦だとかで誰も寄り付かないし……またまともな部署じゃないし……」
「で、でも来年いっぱいの契約なんですよね」

 千羽鶴は反射的にそう言ってしまってから、

「そしたら間違いなく実家に帰るのよ……」

 アーヤの置かれた立場に気づいた。

「高校三年生だっけ? 制服? きらきらしてるわね……私みたいになっちゃだめよ……いい人見つけなさいね……」

 千羽鶴は一瞬だけ、恋人どころか婚約者が既にいますと正直に言うべきか悩んだが、誰も幸せにならないことを悟ってやめておいた。そういえば言ってなかったような気もするし、しばらく伏せておくのが吉かもしれない。
 とりあえず仕事をしたい。

「あの。これ、レターセットです」
「ん? あぁ……確かに受け取ったわ。ありがと」

 頼りがいの一切が消失してしまっているが、なんとか手渡すことは出来た。
 これで今回の用事は終わりなのだが、

「「……」」

 このまま別れたら次にどんな顔をして会えばいいのかわからない。ここまで深刻な反応をされるほどキツいのだろうかとか、今後は絶対触れないにしてもまず現状からどう脱すればいいかわからない。

『まだわからないじゃないですか! 999/10 ♡』→ 地雷
『きっと運命の出会いがありますよ 999/10 ♡』 → 無責任
『私でも見つけられましたし平気ですよ 999/10 ♡』 → 爆弾
『私がいるじゃないですか! 999/999 ♡』 → ????

 ……変なものが見えた。
 このまま立ち去るわけにもいかない。千羽鶴は話題を探す。何かないか何かないかと頭を巡らせ、

「あ」

 すぐに見つかった。嘘をつかず、時期は不自然だけど、アーヤを先輩として立てつつも適度に転がりそうな話題。
 すぐ口に出す。

「あの。進路のことなんですけど」
「?」首をかしげるアーヤ。
「あ、えっと、私のです」

 千羽鶴は自分が置かれた状況について語った。進路決定を遅らせてもらっていたこと。それをすっかり忘れていて真幌から怒られたこと。決めないと誕生日会に参加できなくなってしまったこと。しかし何も思い浮かばないということ。誰かに相談しなければ八方塞がりであること。みやびに相談したら持論を語ってもらえたこと。
 とにかく矢継ぎ早に話して空気を埋めていく。

「……」

 アーヤは凹んでいるなりに聞いてくれているようで、「そんなことになってたのね」と返事をしてくれる頃には、多少の余裕を取り戻していた。眉尻を下げた笑みを浮かべながら、

「進路かあ……」

 さっきのみやびと同じように、どこか遠くを眺めながらつぶやいた。そのまま五秒の間があり、

「したいことをしたらいいんじゃないかしら?」
「……それがわからなくて」
「何かないの? ほら、ぬいぐるみ作るの得意って聞くけど」
「現実的な方向で考えたくて」
「現実的……」

 アーヤは、げんじつてき、と噛みしめるように言う。頭の中で理解しようとしているのがわかった。それを見て、千羽鶴は察した。

 ……この人もみやび先輩と同じだ。

「申し訳ないけど、私もみやびと同じかもしれないわ」

 思考と回答が重なった。

「えっと、みやびみたいに自分で身につけた技術があるわけじゃなくて。私は昔からやるべきことがずっと用意されてたと思う。いいか悪いかは置いといてこれは今も変わらないかも」

 アーヤは指を折って数え始める。

「生まれは神社で、覚えることやこなさなきゃいけない仕事はずっとあった。お姉ちゃんは昔からああいう感じだったから、私がしっかりしなきゃいけないと思って、家のことも学校のことも剣道も頑張ってたわ。今だってそう。私にやってほしいと言われることでいっぱいだった……」

 あれもこれも、と指で数え続ける。千羽鶴はそれを眺める。

「まあ……そのせいで……」
「わ、わかりました。ありがとうございます」


 また妙な方向へ折れ始めそうだったので、早めに止めておく。それでもまた膝を抱えてしまうアーヤをたしなめながら、
 ……向こう側から来る仕事か。

 アーヤは器用なタイプだと思う。高校の頃は生徒会長を務めていたと言うし、剣道だって世界大会を制するレベルだ。TRI-OSを通して見ていたときや、いま陥っている状況のように、メンタル面にある種の脆さは抱えている。しかしそれを補って余りある習得・実行能力がある。

「アーヤさんは……」

 そこまで考えて、自然と疑問が口をついていた。

「もし実家に帰らなくてよくなったとして、したいことってありますか?」
「……したいこと?」
「なんというか……現実的に」

 そう、『現実的』に。千羽鶴は自分で言いながら、浮かんでいた疑問が腑に落ちるのを感じいていた。ほしかったパズルのピースを見つけた。その答えをアーヤから聞いてみたい。
 抱えていた膝から頭を起こして、アーヤはまた考える素振り。教室内を見渡して、千羽鶴を見て、自分の膝あたりを見る。

「言われてみると……難しいかもしれない」

 ふっ、と心が軽くなるのを感じた。

「千羽鶴ちゃんも一緒なのかしらね。私、自分ではあんまりやりたいことを考える時間がなかった……考えてこなかったかも。私なんかがそうなのに、情報管理庁の長官やってたとか、千羽鶴ちゃんは悩むのが当然よね」
「……」こくんと頷く。
「そう考えたらみやびはとっても大人だわ。自分でやりたいことがあって、やるべきこともわかってて、それに向かって努力してる。私は自分でやりたいことを選んできたつもりだったけど、実は周りに流されてただけかもしれない」
「……でも、いろんな人がついてきてます。評価もされてるはずです。アーヤ先輩は」息を吸って、「どんな気持ちでしたか」

 曖昧な質問になってしまった。しかしアーヤは、千羽鶴の小さな逡巡まで汲み取ってくれたようで、ごく自然に答えをつなぐ。

「ずっと充実してるわね。いままで進路について考えたことがあんまりなかったくらい……高校生のときくらいじゃないかしら。って言っても、高校生活は勉強と部活と生徒会漬けで、普通に遊んだり、男の子と楽しそうに話してる子たちが羨ましかった。だから私も、東京で思いっきりオシャレしたり、可愛いカフェに行ったり、素敵な恋をしたいとか、そんな気持ちばっかり」
「意外です」実は知ってます、とは言わず。
「素敵な恋……は、いいとして。いいのよ? ――それからは本当にいろいろあったわね。何があったかは千羽鶴ちゃんもだいたい知ってるところが多いと思うけど、いろいろ考え方も変わった。けど、やってることはずっと変わらないわ。やって来る仕事を捌き続ける……捌き続けて……もし神社を継がなくてよくなったら……」
「素敵な恋をしてください」

 かぶせるように千羽鶴は言う。アーヤはちょっとだけびっくりしたような顔をして、「そうね」と、きょう一番にきれいな笑顔を見せた。
 
   ▶ 

 夕方。
 アーヤと真幌についての話題で盛り上がったり、恋愛の話に行くたび自分も独り身であると仮定しながら乗りきったりしていて、気づけば日が暮れようとしていた。アーヤの方に次の予定があり、

「進路が決まったら教えてね」

 と約束をして、幼稚園近くの駐車場で二人は別れた。

 ……ちょっと印象が変わったかも。

 千羽鶴はマフラーに口元をうずめながら、ココロスフィアやフェノメノンにいた頃の彼女を思い返していた。いちばん変わったのはアーヤかもしれない。素敵な恋愛への憧れというのはブーストされる形で表層に表れていたけど、それでも後輩である自分に対して表面化させるタイプの人ではなかった。

 ……酸いも甘いも噛み分けたって感じ。

 以前のアーヤは、人に対して自分の弱みを見せるようなことがほとんどなかった。一人で何でも出来てしまって、その完全性がもちろん完全ではないままに人格へ馴染んでいるような人物だった。有り体に言えば完璧主義の堅物。
 そのアーヤがあんな風に振る舞っていた。なぜだろうと考えて、

「ああ」

 駅に向かって歩きながら、千羽鶴はすぐに気づいた。

 ……領火が帰って来たからか。

 マフラーに溜めるようにして、はーっと温かい息を吐く。日が沈んだらもっと冷え込む。電車も混みあう。早く帰ってお茶でもしたいところ。

 なんだか無性に寮へ帰りたくなる気持ちが強くなり、

「ん」

 ほぼ同時に携帯へメッセージが入った。ちょうど駅入口に着いていたので、その脇で立ち止まって内容を確認する。

「む…………」
 
   ▶
 
 江戸川橋から電車に乗り込んで二十分ほど。途中で何度も、帰ってしまおうか、でも会う機会はなかなかないし、と迷いながら何とかたどり着いた駅。
 外に出て、ここまで来てしまったからと頭を納得させる。マップアプリは必要ないのでそのまま歩き出す。ここまで来てしまえば面倒さやどこか憂鬱だった気持ちはだいぶ薄れていて、軽くなった足取りで千羽鶴は目的地を目指している。

 ……会いたい。

 いつになく素直な、これから会うその相手には絶対に言いたくないような、言ってしまいたいような重ね合わせの気持ちがある事を自覚する。動く足が逸るのを止めない。
 そうしてたどり着いた先は、高層マンションの足元。
 何度来ても『いかにも』といった感想しか出すことができない、江戸川橋から訪れるにはギャップが大きすぎる精緻な高層建築。点々とライトアップされた街路樹のある入口までの道。大規模ショッピングモールでも見ない大きさがあるガラス張りのエントランス、その手前に横付けされている高級(なんだろうなという)車。見上げれば、これが人の住む場所なのかと思わされる威容があるビルが見下ろしてくる。
 しかし千羽鶴は慣れているので、いかめしい警備のおじさんとも顔馴染み。

「こんばんは」

と気軽に挨拶しながら歩を進める。
 オートロック設備がある扉の前まで来た。用がある四三階の部屋番号を入力してインターフォンを鳴らす。少しだけ間を置いてから、

『はい♪』
「千羽鶴です。開けて」
『——はいはいただいまぁ』

 前後で差異がありすぎるトーンの対応をした部屋の住人は、ロックを解除して千羽鶴をマンション内へ招き入れた。
 踏み入れると、すぐに直面するのはエスカレーター。職員が常駐しているのであろう総合案内。配置された観葉植物と、窓の外に見える夜の公園。不自然なくらい人通りがなく、映画のセット内を自由に歩き回っているような、どこか現実離れした雰囲気に呑まれそうになる。生きる世界が違うな、といつも通りの感想を抱きつつエレベーターへ乗り込んだ。
 四三階でエレベーターが止まり、扉が開くと、

「あ。来ましたね」

 卯月神楽がいた。
 厚手のシンプルなコートにラフな巻き方のマフラー、普段は編み込んでいる髪もほどかれていて、後頭部でお団子にまとめあげられているスタイル。見るからにリラックスしていたところからサッと外出するための着合わせだった。
 突然の状況に千羽鶴は何を言うべきか迷い、

「おほん。出迎えご苦労」
「……誰ですか? それ」

 さっさと行きますよ、と神楽に促される。千羽鶴は数秒間だけ固まってしまうが、どこか落ち込んだ気持ちは隠して後についていく。
 いつかの自分はトラウマを植え付けてしまうほどに、いまの神楽と同じような現れ方をした。意趣返しのつもりなのかと構えてしまったがそういう訳でもなく、ただ普通に出迎えに来てくれていただけのようだった。わざわざ暖かい部屋から出てきてくれた相手に対して気の利いたことを言えずじまい。

 ……何をこんなにビクビクしてるんだか。

 千羽鶴は自分自身を叱咤する。マンションの廊下を先行して歩いていた神楽は、たどりついた自室の扉を開けて中に入り、

「ほらほら早く入ってください」

 それでもどこか腰が引けていた千羽鶴をひっぱり込む。コートやバッグを奪い取って先に部屋へ上がり込んだ。千羽鶴はなぜかされるがままで、

「あ……」りがと、とも言えず。
「なんですか?」
「……なんでもない。お邪魔します」

 すっかり慣れたような、けど久しぶりに訪れる卯月家へ。
 
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