2020年2月29日

劇場版「SHIROBAKO」感想(ネタバレあり)

 




シネマシティの初日・初回 bst で観ました。
聖地だよ! やったねシネマシティちゃん!
 

 感想


 
涙あり笑いありの2時間でした。終映後は拍手が起こり、こんなふうに拍手が起こったのは去年の7月、大きな事件があった日に最終上映回を迎えていた劇場版ユーフォ以来だなと自然に思い出していました。
 
この映画は、実家のような安心感がある作品でした。TVシリーズ版からは4年という歳月が経過しており、登場人物たちの人間関係や立場もそれぞれ変化していますが、ひとつの大きな目標に向かってみんなが頑張る様子はほぼ同じものだったと感じています。
 
劇場版ならではの苦労話とかあるのかと思いましたがそれもなく、本当にディテールそのものはほとんど変わらないものでした。新しい登場人物も数えるほどしかいません。既に登場していた人物も、4年の間に「ああそうなるんだろうな」「そうなるのか」と思わせられる変化をたどって、しかし変わらず同じように情熱を持って(捕まえられたりして)仕事へ取り組んでいました。

ああ、「SHIROBAKO」はこれでいいんだな~いいんだよな~と強く思いました。三女の二期ではありませんが(野亀先生…)、「伝えたいこと」が物語の作りへしっかり結びついている以上、これ以上何も足さず何も引かないでよいのだなと言いますか。少なからず、自分が終始抱いていた実家のような安心感はとても沁み入るものでした。

 

 実家感


 
冒頭の「これまでのあらすじ」があのような可愛らしい雰囲気で進められた後、いたって普通に走るだけの車中であのOPテーマが流れ出しただけで、何というかもうダメでした。想像していたよりもずっと低空飛行の現実が打ち出されている一方で、いかにも「限界集落過疎娘」らしい懐メロ風を取り入れたサウンドがラジオに乗せられていると、ああこの空気はとても現実的だなと強く感じさせられてしまいました。

自分だけではどうすることも出来ない周囲の環境、社会全体を取り巻いている大きな停滞感と言いますか。過去や現在のどうにもならない問題をつついて喜んでばかりいて、変わりたいとかいいねされたいとか認知されたいとか輝きたいとか、言うのは簡単なことばかりを言って何もしていない・出来ていない感じと言いますか。

停滞してはいるけど、それゆえにやっぱり気楽なので、あの懐かしい感じの音楽はめちゃくちゃ優しいんですよね。何かを変えたいと思ったり、いいねされようと思ったり、輝くために行動を起こすのはアホほど面倒くさいし疲れるんです。一度でも失敗したらダメ人間認定という現代の空気は、簡単にそれをヨシとしてくれないのです。現代だけではなくいつの時代でもそうなのかもわからないですけど。

自分は20代前半ではありますが、それでもあのOP曲にはやたらと郷愁や安心感を誘われました。つらいなら少し休んでもええんやでと語りかけてくるような音作りで、それは良くも悪くも、どこまでも現実的です。過去の記憶に浸っているのを許してくれる優しい雰囲気は、しかし「SHIROBAKO」の物語、それも冒頭部分としては切実な問題点です。考えたくないようなマイナスを抱えた開始地点だと伝えてくるけど、ラジオに乗せられた音楽だけは、どこまでも生暖かい温もりと現実感で包んでくるような……。

この出だしだけでいろいろなことがわかって、「SHIROBAKO」の世界観・温度感がそうであることが何とも言えず嬉しく、涙腺がゆるゆるとしていました。大変な出だしではあるんですけど、あちら側にも自分たちと同じように失敗したり悩んだりする人々がいて、そんなときに慰めてくれる音楽があることを同時に伝えてくるんですね。

今回のお話では、これ以上にしっくり来る冒頭は他にないんじゃないかと思わされます。鑑賞中も鑑賞後も同じ感想です。

ムサニからはいろいろな人がいなくなっていたり、宮森さんの部屋がこれまで以上にぐちゃぐちゃしていたり、順調に出世する絵麻さんはルームシェアでいい部屋に住んでいい食事をしていたり、姉に子供が出来ていたり、宮井さんと出会ったその日に荻窪でものすごい飲み明かし方をしたり、みんなで集まっても相変わらず愚痴大会のままだったり、普通の人がごく普通に抱えていそうなマイナスとか紛らわし方がたくさんあるのが、相変わらずでいいなと思ったり。

個人的に実家というものが存在しないので九割くらい想像ですが……優しかったり大変だったりする日常を感じさせるいろいろな要素は、自分にとっての「実家のような安心感」を程よく想起させてくれました。



そうしてごく自然に引き込まれた後は、もう普段どおりというか王道というか。序盤で主人公+ムサニの動力源たる宮森さんは葛藤に解決があり、そこから全員を巻き込んで作品を完成させていく様子が続きます。

取り立てて捻りはありません。TVシリーズ版にあったものをひとつひとつ大事に回収していって、大いに笑わせたりしんみりさせてくれながら、「SHIROBAKOってこんなアニメだったよね」という安心感を漂わせて最後まで進んでいきました。

そこで語られるものは、変わらず同じものだったように思えています。けどしかし、数年前にまだ学生だった自分と現在のぼんやりした自分とでは、受け取り方・感じ方が大きく異なっているように思えたりしました。


 テーマ うまく行ったり行かなかったり



テーマは至ってシンプルですし、何度も登場人物が口に出して話してくれています。ともすれば説教くさいと言われそうなものですが、このご時世でこのテーマならこれくらいストレートでいいんだよなと感じました。大昔から擦られ続けている話ですし、いまさらカッコつけたり遠回しに言う必要もないんですよね。たぶん。



説教くさいと言えば、社会において物語が持つ役割というのは、自分が生きている二十年ちょっとの間だけでも大きく変化したように思っています。インターネット、スマートフォンの普及が明快な境目ですよね。主人公を通してもうひとつの人生を体感することで、普段は出来ないような体験をもたらすような役割は、年々少しずつ敬遠されるようになってきています。

日常モノとか部活モノとか、焚き火や小動物の24時間配信を眺めるような心地で観るためのアニメが多いです(粗◯乱◯では?)。あるいは特定のテンプレートを活用することで、視聴者側に負担を強いることなくどこかで観たことのある展開を流し込むようなもの。分かたれてはバーチャル配信者のような、作られたキャラクターの容姿をかぶった人間がニコ生をするような雰囲気のやつとか。

物語は清涼剤として活用されることが増えました。アクセスする手段が容易・安価になったことで、単価は安くなり、そこに求められる内容も移ろっていき、さらに不景気から消費者側の時間的余裕が削られていきました。この辺はまあ致し方ないところもあるのかなとは思います。とても悲しい。

最近の大きな変化では、キャラクターという(自分にとっては神聖だった)領域へ生身の人間が(土足で)乗り込んでいき、外形だけ整えられたタレントがゲーム実況したりカラオケしたりするコンテンツが流行っていることです(キャラをキャラとして演じている・演じておらずとも人間性とキャラが噛み合っているのは好き)。あの辺はもう何というか文化侵略……妙なことを言うのはやめておきまして……。

「画面の向こう側はお友達のいる空間」になっているんですよね。自分はどうしてもその価値観を容認できないままで、ブラウン管とか液晶を通して観るものは高尚なものであるべきという考えがあるままというか。文化的価値が高いものだとかそういう高尚さではなく、ただ一本気が通った映像や物語であるかどうかという高尚さです。その点においてはどんな映像でも変わりません。映画でもドラマでもアニメでも、生放送のワイドショーでもバラエティ番組でも、Live2D・3D系の配信者でも同じことです。捧げられている時間や魂の有無はどうしても感じ取ってしまいます。

どうしてもそういった古くさい価値観を捨てきれないのは、それに自分が救われてきたというのがあまりにも明快だからだとは思うので、たぶん仕方のないことではあるんですけども。

作業のお供にアニメを観るなんてことは信じられないのですが、どうもそういう観られ方をするのが最近は普通みたいに感じます。信じられないのですけども……。





今回の「SHIROBAKO」は、印刷ミス疑惑のあるツキノワクマさんであるところのロロが言ったようなテーマが主軸にありました。それは言葉にするだけでは伝わらない、生き方とか信念とか処世術といったものです。何度も語られてきたゆえにシンプルで飽きられやすく、しかし時代を越えて残っている、おそらくは真理に近いであろう哲学だと思います。

それが現国の問題文で出題されそうな「主題」だとすると、ディテール・外形的には、こちらもシンプルに「アニメ・アニメ制作はいいもの」だというところがあります。

付随してくる文脈・テーマとして、アニメが好き、アニメは必要、好きなことを仕事にするとか、本能的に楽しいことをしていたいとか、一人でやるよりみんなでやった方がいいとか、情熱も大事だけど適材適所とか現実との兼ね合わせもあるとか、自信とか覚悟とか、大ベテランでも思い悩んでボロボロになるとか、いろいろあると思います。

それを表現するための、テンポがいいとか小気味いいとか、ともすれば早口で何言ってるかわからなくそうな駆け足の会話・場面展開も健在でした。2時間という尺に収まりきらないたくさんのものがあるんだろうなと感じます。続編どうです?
 
上記のようにいろいろありますが、私的には、丸川元社長が宮森にカレーをご馳走するシーンがどうしてもダメでした(とてもよかったと書きたい)。もらい泣きする方だというのもあるのですが、思い出すだけでもなんかこう……。

今回のお話では、序盤でひたすら空気を澱ませて+現実的さで観客を引き込んで、それよりも長い時間を明るく楽しく元気よくなっていく過程に割いていました。舞茸さんが言ったような「ネガティブな感情も魅力に見えた」というようなところがあると思います。この空気がパッと入れ替わる瞬間というのが、元社長の「宮森さんはどうしてアニメを作っていきたいのか?」という問いかけでした。

元社長が問うたのは、「少し高いところ」から見出した答えよりも先にあるものです。業界で長く働くにつれて、制作進行、制作デスクからもう一歩進んでのラインプロデューサーとして、どうしても生きていかなければいけない自分の人生において、より明確な答えが必要になる瞬間だったのだと思います。

元社長と宮森が共有した、伝えたり伝えられたりした答えというのは、包み隠さず「SHIROBAKO」制作陣のメッセージでもあるのだろうなと思います。TV版でも今回の映画でも表現されているテーマであって、それはおそらく「えくそだす」「三女」「SIVA」でも似たものだったのではないでしょうか。

それを明快な言葉にするのが大事だと言ってくれていることも、丸川元社長さんや宮森さん、引いては「SHIROBAKO」制作陣の方々も、ひとつの壮大なテーマを共有しているということがわかったのはとても嬉しかったんですよね。



過去より未来が大事とか、前向きに頑張れとかクヨクヨしすぎんなというのは、字面だけ見れば誰がどう見ても「そうだね」と言う当たり前のことだと思うんです。当たり前のことなんですけど、それを明確に言葉にするとありえないほど陳腐になってしまうくらい当然のことなんですけども、誰かがそれを伝え続けないと本当にくだらないものになっていってしまう気がするんですよね。

周囲の環境や社会や自分の先行きが暗くなればなるほど、前向きになることや何かを頑張ろうとすることはくだらないことのように思えてきます。「何マジになっちゃってんの?」みたいな言葉は文字列を見ただけでアホほどイラつくのですが、誰かがどこかでマジになっていかないと、多分ゆるやかにダメになっていく一方なんです。ほんとに……。



「歌にすれば照れくさい言葉だって届けられるから」と歌っていたアイドルもいました。それは長く長く愛されているグループのもので、人というのは輝きたいとか変わりたいとか思ってはいるんだと、彼女らが活躍するほど強く信じさせてくれます。

頑張ることはくだらないことじゃないし、真面目に何かに取り組んだり、結果を出そうとしたり、自分の人生について前向きに考えることはくだらないことじゃないんですよね。そう感じさせてくれるものと出会うたび、ああやっぱりそうだよなと思ったり、頑張る女の子が一番可愛いと言ったアニメ監督がいたみたいに、人が惹かれ合う部分というのはそこにあるんじゃないかなと思えるんだよなぁと……。

すべての人がそうあれる訳ではないと思います。けどしかし、少しでもそうあれるような気がするなら、挑戦しておいて損はないんじゃないと伝えられて、感じさせてくれました。しばらくは前向きでいられるような気がしています。



……というふうに文章にしても、文面だけ見るとやっぱり簡単なことなんですよね。優しく言えば小学生でもわかるというか。いい悪いとか好き嫌いを語るのが難しくてリスキーな現代においても、この考え方だけは誰がどう見ても「いいもの」「シンプルなもの」だと思います。

あの大事件があった直後にユーフォの劇場版を観て、それが偶然にも最終上映回で拍手が起こったときから、それでも京アニから新作が出ますし「SHIROBAKO」はきっちり完成しています。何だか当然のことのように世の中は進んでいますが、これはまったくもって普通のことではないと思うんですよね。いくらアニメ制作が仕事・生業と言えど、ウイルスが流行し始めたくらいで大混乱に陥る世間よりは、強度があると言ってもおかしくはないはず。
 
何事もいいことばかりではないです。ふとしたきっかけで人生が丸っきり好転するようなことはありませんし、人生が変わりそうな出会いがあっても、現実の心はすぐには入れ替えられません。積み上げてきたものが大きければ大きいほど変化するのは難しいですし、ほんのささいな嫌なこと・失敗ですべて崩れても何もおかしくありません。

そうした失敗や「ネガティブな感情」も含めて、とても優れたバランス感覚とか裁量で組み立てられているのが、「SHIROBAKO」の本当にいいところだと思います。

いい年をした大人たちがロクに仕事をしておらず、ひたすら釣りをしたり、牢屋(しかし冷静に考えるとなんですかねアレ)から逃げ出したり、奥さんがパートで頑張っているのに拗ねていたり。自分が本当にやりたいこと・やりたかったことを見定める余裕もなく、ただ与えられる仕事を頑張って回さなければいけなかったり。嫌な奴というか世の中の歪みみたいな人物たちも、割とコミカルかつわかりやすく書いていたり……。

TV版から劇場版までの間に自分も成人して、ゆるやかに働き出してから、ミスター変な話野郎とか今回の悪役みたいな輩が世間には本当にいることを知ったりしました。知りとうなかった……。

ただ、1/16人前くらいながら大人になったからこそ、大人が大人でいられるのは法律的な側面だけみたいなのが普通なんだなと思えるようになりました。杉江さんや元社長さんくらいでようやく大人として一人前、あるいはまだ道半ばみたいなものだと感じられています。チャラい沢さんも含められてしまう訳ですし、子供とか大人なんて言葉はちょっと便利すぎですよね。

みんな不器用でうまく行かないのが当たり前。それでも仕事はちゃんとしようとかちょっと真面目に頑張ろうとか、丸川元社長がんから宮森さんが引き継いだような信念を持って努力するのは、やっぱり大事なことなんだなと思わせてくれました。



こんなふうに考えていると、もし最強キャラランキングを組んだら1位は高梨太郎大先生(予定)なのかなと……いや……どうだろう……。かくありたいような、そうでもないような……なんだかんだ付き合い続けてる平岡さんは尊いですね……。

できるだけ楽しく無邪気に生きていたいものです。


 続編ありますよね



TVシリーズ版と同じように「俺たたエンド」だったので、また続編が作れますね。

……ね。

「おしまい」とか「完」とかなかったですし……。
 
……。





「七福神」は、「三女」とか「SIVA」を通して完成させ続けているような気もします。けど、いずれは5人を中核にした作品が作られるような流れとか観てみたいですね。

ですよね。宮森監督とかどうでしょう。宮森社長とか……。



劇場版「SHIROBAKO」は100点でした。大変ありがとうございました。