2020年9月19日

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 感想っぽい




共有できる友人がいないので壁打ち感想会メモ。映像としては最初から最後まで意味のあるものばかりで、円盤でじっくり観ないとわからないことがたくさんある気もしますが、とにかくよかったので何とか書き出しておかないとソワソワして気が済まない感じ。何度思い出してもいい映画…。


犬の人形


一番最後に見た絵だからかもですが、エンディング後の一枚絵と、犬の人形が左側に置いてあったのが印象的でした。映画を観る前に本編を見直していろいろ予習しといてよかったです。あの一枚だけで伝わってくるものがいろいろありました。


普遍的かつ強いテーマとストーリーの結びつき


で、まず制作陣の方々にありがとうございました素晴らしかったですと言いたくなる完成度でした。100点! 恥ずかしながら原作は読んでおらずだったのですが、特典小説がいい感じに読みやすい文体でしっくり来たのでポンと注文しました。紙媒体でほしいやつ。


純粋に完成度が高かったなぁと深く感じています。最初に未来の時間軸から始まったところから、二つの時間軸を行き来していろいろなことがうまく行ったことを示唆しつつ進めていく構成を取って、強く願うことの大切さ、素直になることの難しさ、言葉にして伝えることの大切さなどなど……遡っていけば「あいしてる」にまとめられそうなテーマが様々に詰まっていました。この五文字でだいたいまとめられてしまう軸の強さがすごい。不変で普遍と公式サイトでは謳っていましたが最後まで字面負けしなかったなぁと。


視点が時間を行き来するという以外は、ストーリー自体の作りはかなりオーソドックスなもので、キャラクターやテーマの力強さが可能にしていた直球ストレートなものだと感じています。劇場版のあらすじを見て少佐が生きてるん!? となった日から、もしビターなエンドではなく、ヴァイオレットとギルベルトがきちんと再会して和解する展開になるならどうなるんだろうとよく考えていました(捻くれ…)。その中でも劇中で描かれたギルベルトが「出会わなければよかった」と自分の過去を否定する流れは思っていた以上に直球だったのですが、映像や音楽と合わせて観るとこれ以外はありえないよなぁと深く実感させられました。


冒頭の未来視点から成功している過去を何度も示唆し続けていたのは、こうした本当にありきたりで単純なことにも思えてしまえそうなテーマへの重みづけが狙いだったのかなぁと感じています。この工夫があったからこそ意義深い物語だったと感じられたというか。ずっと未来まで息づいているヴァイオレットの遺したものが、本当にいろいろな場所で人々から大切に思われていたことで、作品全体を素直に祝福したくなるような雰囲気が常に流れていたというか。こうしたソフトなストーリーで後世に名前を残すような人物がしっかり自然と描かれているのは新鮮さをかなり感じたので、どうしてこの書き方が出来たんだろうと逆算して考えてみた次第です。


これも「あいしてる」というテーマが、時代や場所を選ばずに普遍であり続ける強度を持っていたから出来たことなんだろうなーと思います。ヴァイオレットがギルベルトから授かり、何もわからない・少佐がいないとかでひたすら苦しみながらも理解したいと願い続け、やっとはっきり見つけた「あいしてる」はずっと遠い未来まで残るようなものだった……という結論にとにかく感情移入しやすい。ヴァイオレットが積み重ねてきた行いや本当にほしかったものはお金で買えない価値があるもので、時代を越えて受け継がれていく確かな普遍性があると。ヴァイオレットが少佐のいた過去や少佐のいない未来に苦しみ続けて、けれども忘れられない・会いたい・そう願い続けるしかないという危ういくらいの純粋な感情が真摯に描かれていたからこそ、このラストへたどり着けたんだろうなーと感じました。


ギルベルトとテーマの関わりについて


こうしたこと、ヴァイオレットという人物を形作るにまで大きくなったであろう「あいしてる」について考えていると、ギルベルトが(ヴァイオレットが綴った讃歌と結びつきの深い)海で話した「俺は君が思っているような人じゃない」といったニュアンスの言葉がよく思い出されます。


ギルベルトは人里離れた離島で一般人として暮らしていました。過去・名前・地位をすべて捨ててまでそうさせたのは、自分が連れ回したことからヴァイオレットの未来を奪ってしまったという重責からだと思われます。肉体的な損傷も大きかったギルベルトにはどう考えてもあまりにも重すぎます。突然現れたヴァイオレットを避けてしまうことも、ホッジンズから「ヴァイオレットちゃんが生きていたのを知ってたんだろう」と責められても(いやそれ知ったのはついさっきのことなのでは……)と可哀そうになってしまう辺りも、どれだけ拒否しても「私は会いたい」とまで詰め寄ってくるヴァイオレットを深く傷つけてしまったのも、ギルベルトという人物が情けない男だからだったとはどうしても考えられません。境遇を考えれば生きて働いているだけでも十分強い人格を持っていると思います。


ホッジンズが大馬鹿野郎と叫ぶ場面もありましたが、あれは彼自身の思いやヴァイオレットの心情を思えば当然出てくる気持ちの爆発だとは思います。ただ、あの時点のギルベルトにはあまりにも味方が少なかった訳です。テーマから照らし合わせれば、ヴァイオレットは持ち前の学習能力やある種の素直さで、ここに至るまでに様々な気持ちのありようを体得してきていました。ユリスの気持ちを的確に引き出せるドールにまで成長して、少佐に「今なら少佐の気持ちも少しはわかるのです」と発言できてしまうほど、ヴァイオレットは周囲の「あいしてる」を元手に強い女性となっていた気がしています。


ここは本当にわかりやすい対比で、ギルベルトは右腕や右目を失いながらひたすらずっと一人だった訳です。自分の過去をすっかり捨て去って、自分がヴァイオレットに対してしてしまったことを一生後悔し続けなければならず、せめてもの贖罪にとあの離島で人々の役に立とうとしていたのだと思います。それは実際にブドウ畑と道をつなぐ滑車が象徴として描かれていて、けれど贖罪の裏に自然と存在している本来の優しさが、生徒たちの口や周囲の老人たちから語られることでギルベルトの立場を保たせていました。ブドウ畑から船を見送るギルベルトに「帰れる場所があるなら帰った方がいい」と話す老人、急に現れてギルベルトへ全力で気を遣うプロツンデレのディードフリート、そして滑車がヴァイオレットからの手紙を運ぶ役割を果たした一連の場面にはとてもじんわりしました。


あれほど何を書けばいいのかと悩まれていた、ヴァイオレットからギルベルトへ宛てた手紙の文面は、おそらくあれ以上はないほどヴァイオレット自身の成長やギルベルトへの思慕であふれていたと思います。この文面がギルベルトに伝わっていく瞬間が、個人的には一番ぐっと来たシーンでした。病めるときも健やかなるときも……ではないですが、ヴァイオレットがこれまでに積み重ねてきたすべてが手紙一枚に込められていて、それがギルベルトにすべて伝わって彼自身を動かした辺りです。そんなことが出来てしまうヴァイオレットが健気すぎて切なすぎて、この映画でおそらく初めてギルベルトからヴァイオレットへの呼びかけが行われた瞬間から、すぐに船から飛び降りるまでしてしまうのが……。


ここでギルベルトが正直に「俺は君が思っているような人じゃない」のようなことを言ったりとか、「君に相応しい人だとは思えない」と言ってしまうのとか、それをヴァイオレットが言葉もなく否定しているのとか、ここまで素直な気持ちで祝福できる再会シーンは他にないだろうと確信できる説得力がありました。先に歩み寄って相手へ触れたのはギルベルトだったという辺りもわかりみが深い。あーもうこれ以外ありえないという感じでした。保護者で主人だったギルベルトが与えた「あいしてる」がヴァイオレットをどこまでも強くして、再会したときには、手紙で出来うる限りの「あいしてる」でギルベルトの方を助け上げたという構図ですね。健気で切なくて子供っぽいんですけど、それは少佐に対して未解決のままだった気持ちがずっと残っているからそう見えているだけで、実際にはずっと大人な考え方をしてるんですよね。シラフで書いてると恥ずかしいんですけど、テーマとして提示されてる「あいしてる」なのでどんどん書けます。「あいしてる」はだいたい一番強い。


社長……。


しかし長々と書きましたが、個人的にはホッジンズが一番幸せになってほしいです。彼の性格であのディードフリート大佐の一個下である中佐まで来れたのって何なんでしょう。ヴァイオレットを捉える視点のひとつとして、ヴァイオレットが立ち直っていくために最重要レベルの働きを見せてくれたホッジンズですが、なかなか自分のことは蔑ろっぽい傾向が見えるような気もするので……そうでもないだろうか……いやわからない……幸せになって社長……。


出来るなら女性視点で観てみたい


男性陣が総じて何かしら可愛らしい部分を持っていたり、特に外伝では(監督も女性だったからか)そうした傾向が強いと感じたのですが、やはりなかなか女性向けっぽいなと思う瞬間はちらほらありました。それが男性向けのオヤジくさい露骨さくらい鼻についたという訳では全然なく、ストーリー自体は理解さえできればどんな世代・性別の人にも勧められる内容でした。しかし……男性陣にもっとトキメキ(???)を覚えてみたかったり、より女性視点から捉えた「あいしてる」について深く知りたかったりします。自分は「あいしてる」についてはざっくりと「いい面も悪い面も受け入れられて、それでも触れていれば前向きになれる大事なもの」と捉えていて、多分この辺がちょっと違うんだろうなぁと思ったりする訳です。VRとかボイチェンで外見美少女みたいなのはあんまり興味ないんですが、感性の取り替えみたいな感じでカジュアルに行けるならそれは非常にしてみたいですね。何故か今回のディードフリートは萌えポイント(???)が非常に多かったので……。


あまりにもきれいな幕引き…


まだまだいろいろ考えたり書き出したり観て確認したいことはいろいろあるものの、あまりにもきれいで美しい幕引きが頭に過ぎり、何かとスッキリできるのと同じくらい寂しいのが心身に効いてきます。寝なければ……文庫本が家に届くのを楽しみにします……。

それにしても100点でした。特典小説がランダムなのはよくないと思いますけど! ディードフリート大佐Ifがかなり良くて満足ですが。世知辛い。なので本とTVシリーズと映画でもう一巡りくらいしようと思います。まだ作品世界に浸っていたい……幕引きがきれいすぎて……切ない……。ありがとうございました。




2020年7月10日

ATRI -My Dear Moments- 感想(ネタバレ)




冒頭はいつのどこなんでしょうね



どうとでも取れそうなあたりがちょっと素敵です。



ざっくり感想



個人的な好みで言えば95点でした。

物語を演出する各素材はとてもきれいでよく感動しました。立ち絵の表情豊かさ、イベントCGもきれいで、特に夕暮れどきの笑顔がキラキラしてて好きです。音楽もセンスよく彩り豊かにまとめられており、情景描写に関しては空気感がよく出ていてお気に入りです。UI関連もこれくらいでええのんな~と思う小綺麗さと、やっぱりタイトル画面がトゥルーエンド後に変わるのっていいですよねとしんみりしました。竜司の声がよすぎてソッコでシステムボイスにしました(神)。まだ聞いていなければ竜司を指名してタイトル画面へ死に急ぎましょう。

シナリオは思っていた以上のボリュームもあり、44日間での変化は様々で、メインヒロインであるアトリのいろんな感情を見ることができました。トゥルーエンドは何だか静かで甘酸っぱい感じだったので、OPを流すよりはしんみりした曲がよかったのではとかは思いましたが、よいバランス感覚ですっきり閉じてくれた辺りの満足感が高いです。続編の匂わせとかは疲れるので、アトリがいた45日間を作中で描ききってくれたのはかなり好感が持てました。


出会いの場所から街を救ったエデンまでという素晴らCG


販売形態・18禁要素の不在について



実際そうなるのは相当難しそうな(よく知らない)のですが、ノベルゲーは映画の2時間が拡大したコンテンツみたいに思っていて、今回の「ATRI」に関しては制作・コンテンツ・販売の形態としては理想形のひとつなのではなかろうかと思ってます。外国語対応は特に難しそうではありますが、もしこの販路が成立して様々なメーカーが出してくれれば、価格帯的にもボリューム的にも触れやすさは相当高いです。個人的にはSteamで保存・ダウンロード・各デバイスで起動できるのがめちゃくちゃ強いです。DMMとか使った方が国際情勢的にはいいのかもしれませんが(そうか?)。

大声では言えませんが、やっぱりエロゲにはエロがいらないやつもあったんだなぁという実感を強く得ています。エロがないという安心感はものすごいです。個人的にはシナリオ内の恋愛というのはキャラの自立・結びつきの両方を強くするものと思っていて、その過程や発展は人格にだけ結びついてれば満足なのです。その中での18禁要素というのは、大概の場合で上手に人格そのものへ結びついておらず、ただ何となく設置されてる感が5割を越えるとすぐ不快に感じてしまいます。『置き』のエロなら不要という訳です。


『置く』だけなら不要


そういうシーンに使うテキストとイベントCGを別に回してほしい、大抵の場合でかなり長尺なので前後のストーリーのつながりを大きく分断してしまう、そういうシーンの脚本・演出はシナリオ作成とまったく別の技能である、もし書くなら専門の人に分業してほしい、などなど…。さらにそういった方面を上手にストーリーへ絡めようとすると、そういった分野のコンテンツに出てくる登場人物のように、キャラクターの根幹や普段の興味や言動へ表出させる必要がある。必要なリソースはそういったシーン単体ではなく、シナリオ・キャラクター全体の構築にも関わって来る訳です。それを親近感・身近さ・現実感へのトリガーにするなど上手にやっている作品も見たことがあるような気もしますが、キャラゲー方面の要素が強い作品であり、シナリオともうまく絡んでいるのは一部のヒロインだけという事もちらほらありました。

つべこべ言わず見たまま感じたままにしとけばええやんと思わなくもありません。エロゲにエロは必要かという議論は共有しやすく鉄板な話題であり、ほとんどの場合は表現の幅が大事とかおまけっぽくて嬉しいとかないと物足りないとか、それぞれの好みや見解に落ち着きます。エロシーン全スキップみたいな友人もいました。かく言う自分も、上述したとおりに『置き』のエロなら不要(逆もまた然り)という立場を取っていました。現在もそうです。

そうした嗜好を抱えてしまった立場からプレイした「ATRI」は、プレイ中から快適さが段違いでした。エロ要素にリソースが割かれておらず、ストーリーを分断することがなく、キスシーンや軽度の身体接触・恋愛感情の発展なんかは微笑ましく眺められるものになっており(だいぶ直接的なのもありましたが)、物語を描くことに全振りである作品にはとてもよく感情移入できました。やはり常々思っていたとおりだったのですが、こうして実際に体験すると、18禁要素なしで作り込まれたノベルゲーは映画の時間パッケージを大きく拡大したコンテンツとして深く楽しめました。


本当にありがとうございました


本作で得た一番大きな感動はここだったかもしれません。これが土台にあったからこそ、とてもリラックスして読み進められました。いや本当にマジで超すごい。ありがとうアニプレエグゼを考えた人。応援するのでこれからも自分のような(奇異な)層を救ってくださると助かります。


シナリオについて



体験版の範囲は薬もなく毒もなくという感じでした。キャラの性格や関係性の提示・変化・定着という土台作りも兼ねつつ、当たり障りなく予想どおりに出来事が運ぶ安心感は際立っており、一方でやや退屈かなと思ったりもしました。後半の展開に向けての伏線が明確にあってもよかったのでは? と考えましたが、自分は冒頭にある言葉をほぼ忘れながら進めていたのですが、そのように見逃している可能性が高いのと(驚きたいのと頭が悪いので伏線とか考えずに読むのです)、やはり体験版ありきでスルッと入りやすい空間を作ったのかなと予想したりしました。

体験版の後からは、出してから早めに回収される短めの謎とかが連なるような形で物語が進んでいきました。アトリと主人公の関係・アトリ自身の由来が変化したり提示されていく流れは、楽しくも心地よく、なんだろうと予想する手がかりや期間が短めなのもあってするすると入り込めました。全体の傾向としてそのような作りになっている体感があります。序盤に伏線を感知できていない可能性も高いですが、なるべくストレスフリーかつ優しく読み解きやすく、メッセージ性も感じやすく理解しやすいので、アトリの可愛らしさや健気さやいじらしさを多方面からよく眺めることができました。竜司は登場時から不良っぽいキャラだったので、何かこう主人公には強気で意見を言ったり実力行使みたいなシーンも映えそうだなと思っていたのですが、彼は一貫して有能かつ親しみやすい相棒として描かれていました。ただ、従順だったりいいヤツ過ぎるきらいはあったかもしれません。ある意味では「ATRI」において象徴的な存在かもしれないなと思います。


とてもいい子でした


序盤に戻りまして、主人公がもう失意のどん底かつ身体も欠損しててつらい人、みたいなスタートから始まったのは印象的でした。結果的には上昇幅を大きく描くためのアレだったのかなと思ったりしましたが、世界観に含まれていた優しいようでハードな部分を予感させるのにも効いてました。そう考えると世界観というか全体の雰囲気としては、海面上昇の速度はゆったりで緊急性を要してはいない環境問題や、希望の象徴として飛んだロケットとか優しい母親とかアトリの存在を含めて、事前の印象よりは穏やかな感じだったように思います。詩菜様とアトリを取り巻く環境や運命はキツかったですが、もうちっと全体の世界観、環境問題の面で緊張感があってもバランスはよかったのでは? と妄想しなくもないです。あと何年で沈むか具体的になるとか、原因不明だった海面上昇の原因がわかったとか、ロケットの開発に本当は別の目的があった(大衆に発表してるより宇宙開発はずっと遅れてる)とか。考え出すとキリなくて物語の幅も広がり過ぎそうで大変ですが。

そうしたハードかつバイオレンスも絡む部分として、久作先生が作ったYHNというヒューマノイドを開発したり使ったり振り回された人たちの背景があります。アトリ自身に関しては、暴走によるエラー事故があった個体とミスリードしておき、実際は何より尊重されるべきであろうロボットのシステム上に生まれた意識・感情の発露だったという展開でしたが、いかんせん結構キツかったです。人間の悪意が大きく関わることで善意も大きく際立ち、結果として大きなうねりから感情(例外)が生まれるという解釈を出来なくもないですが、それならばもう少しそのようなものだときっちり示すように書いてほしかった感があります。一番わかりやすく最初に表出したのがアトリの『怒りという感情』であり、重めの展開を使いながら最初をそれにしてしまうのは、バランス的にはやや悲しいかなとその場面では思ってしまいました。後から思い返せば、直後に大雨のシーンもあったり、ログに落ちていた洗浄液・後には涙と形容する水分が「好き」の部分に落ちていたことから、その時点から感情があったのではないかということを物語ってました。しかし緩めかつ少なめな手順の展開から(ヤスダは登場から行動までが突然かつ無対策な印象があり)、暴力的な展開が来たり血を見たりするのは正直キツく、アトリ自身の過去を再現していくのには適切な手順だったかもしれませんが、そこだけは首を傾げています。


トゥルーの条件(だった?)なのでなおさら…


夏生の呼びかけで最初に呼び出された感情が、30年間以上ずっと溜まっていた悲しみというもので、それの発露が大雨と一緒にというイベントCGの演出なのは印象的でした。後に引きずりすぎないために洗い流したという表現・解釈もおそらく自然にできるもので、機能美も兼ね備える優れたものです。しかし、久作先生の悲しくつらい境遇や救われない末路があったにしても、ヤスダという動機と直接的な暴力は本当に必要だったんでしょうか。そうした人間の悪意の存在や匂わせというのは、キャサリンがナイフで夏生を脅迫したり、政府が避難指定区域が危機的な状況にあるのを黙殺していたり、アカデミーで夏生が辿ったあれこれから予想がつくものではありましたが、それに30年間も振り回されていたアトリまで深めに付き合わせる必要はあったんでしょうか? という疑問がなんとなくモヤモヤしたまま残っています。大きく直接的な悪意の存在が、アトリの善意や全体の感情を作ったという説得材料にするなら理解できますが、そういった方面での問いかけはSFに寄りすぎるからなのか、アトリという個人を描くのを重視した展開では詩菜様との関係がクローズアップされていました。過去における感情の振れ幅と詩菜・アトリの関係性は不可分なものではありますが、示す分量のバランスが異なり、前者を出した割には少なめになっていたので必要性に疑問を感じたのかなと考えています。そもそも自分が暴力や血を見ることになるとは思っていなかったので、大きく不意打ちを受けた形になっていたのもありますが、ヤスダがあれ以降はトゥルーエンドでさえも一切出なかった小物として片付けられてしまった事も含め、5点減して95点とする要因になっているように感じています。

などといろいろありましたが、少し戻りまして、夏生がアトリのログを盗み見てから演技をやめろと命じた辺りの急転直下感は演出的によく効いていてよかったです。後から思い返すと、正直あんまり予想できていなかったのと、アトリ自身の(表層の)変化が夏生と関連づいて大きく動いたので、この落とし方は悲しいですが納得行く流れとして理解できてます。こちらは、という見立て方であって、こうした自然かつ感情によく結びついた演出が成功している一方での手前に書いたあれこれがしんどい訳です。自業自得かつ未熟だったヤスダが悪い側面はもちろん大きくありますが、自分がしたことを大いに反省して、後の竜司や凛々花の手助けに尽力した等のフォローがあってもよかった気はしています(彼の信念次第ではありますが)。夏生とは義肢という共通点がありますし、トゥルーエンドの場面では生涯ずっと義足で過ごしたことにも触れられていたので、何かこうあってもよかったのではないでしょうか(信念次第…)。


ネガティブなこと書きすぎ注意報


でも大きく気になるのはそれくらいでした。

純粋に恋愛青春モノとして見た場合、間違いなく特に印象的だったのは、夏生がアトリへの好意を自覚する瞬間がきちんと描かれていた部分でした。






そんなに数は多くありませんが様々にノベルゲーをプレイしてきた中で、こうした書き方を見たのは初めてでした。それはおそらく普通のノベルゲーというのは、主人公とプレイヤーの重ね方がやや強力であって、ヒロインを好きになるポイントがプレイヤーそれぞれなのもあったり、フルプライスモノならストーリーの構成上どうしても各ヒロインルートの存在が前提になり、各キャラへの分岐を考えさせるためにヒロイン全員を魅力的に描く必要があるからだと思ってます。「ATRI」ではもちろんメインヒロインがアトリ一人だったり、主人公の立ち絵があって、まずプレイヤーとの同調は期待しないようなキャラ設定であることから(+ぶっちゃければ18禁要素を削っているから)、夏生からアトリへ好意が芽生えた瞬間を明確に描けたのかなと考えています。夏生の想い出にあった出来事とアトリの記憶が結びついた瞬間だったこと、歌とCGまで使って演出していたことからも印象付けが強力でした。まず既存のゲームと一線を画していたのはどこかと聞かれればここを挙げると思います。

ディテールの部分を考えていくと、終末に向かう世界観・AI・儚げな一夏あたりは、特に隠すこともなく流行に沿いつつ伝統的な要素を組み合わせたものという感じです(麦わら帽子と時間遡行があったら役満)。終末後の世界観というのは何かと人気ですが、終末に向かう中で力強く生きている人たちというのは、そういえば最近はあまり見ないのでやや新鮮かもしれません。そこに伴うテーマが、この作品のような前向きさ・明るさを強調しやすいものであるため、流行の終末後のすべてから解き放たれて何もしなくていい雰囲気とは相反しているのもあるかもしれません。しかし流行があれこれと言うよりはもちろん、アニプレエグゼという看板の初出作品にはとても相応しい要素の集まりではないかと思います。


高性能ですから


上記の三要素がよく結びついているSFであり、最後までを考えると「イリヤの空、UFOの夏」なんかを思い出さなくもないところはありますが、こちらはトゥルーエンドにやや甘酸っぱさを含ませることで、夏生とアトリが多大なコストを払いつつも最後の長い一日を一緒に過ごせることへ説得力を持たせられていると思います。正直に言えばこういった話に触れている最中というのは、もうご都合主義でも何でもいいから夏生とアトリが一生共に過ごせて幸せに最期まで一緒にいてほしいとか思いがちで、実際にそういう流れが大いに大流行だとは思いますが、実際にやられると冷めるという面倒くさい輩がたくさんいると予想しています。この落とし所が非常に上手かつ繊細なところまで考えが行き届いていて、大事にされており、一本の作品として理想の閉じられ方のをしていると感じられる素晴らしさがありました。

夏生とアトリの関係性を描ききった作品としてはよいものです。その代わりに友人らや周囲にいた大人たちというのが薄味で、竜司や凛々花については上述しましたが、特に水菜萌関連のエピソードが薄かったあたりはちょい残念ではありました。しかしこのタイトルを取り囲む事情や由来を、純粋に一読者の視点からだけ見れば、この二人の関係性に集中しきって時間を割り当て続けたのはとてもよい構築だとも思います。いやほんとに知らんですけども。特に竜司と水菜萌が親戚というのは二人が結びつかない根拠のためだけに提示されてしまった感はありますし、補完する何かがあったら嬉しいな~とか考えたりはします(どうですか?)。

最もSF的な要素として、エデン周辺に関わる超科学(考証の方も入ってたんですね)もありますが、やはり主軸なのはAIなのかなと思います。作中では20年代にはAIが感情を持たないと断定され、アトリなんかは例外的に感情を持った個体だとされていますが、AIが感情を持ったという現象への言及自体はあまりなく、ちょっとだけ残念に思いました。学習することでパターンを覚え、直面する状況に応じて最適な解答を行動として弾き返すあたりは、最近でも調べればすぐ出てくるAIのフレーム問題を解決した例として卓越した水準にあると言えます。しかしこれが何から由来していて、やはりロボでありモノであるからこそ感情らしきものと形容せざるを得ない例外が生まれたのは、結局のところどういった根拠があったのかという辺りの掘り下げは欲しかった感があります。


どうして感情が芽生えたのか?(理論から)


人間には肉体・種の保存という本能があり、そこへ高度な記憶力・思考力を持った脳が組み合わせられることによって、より高効率で人間らしくあるための行動が可能なのだとか聞きます。となると、AIが人間に近い出力デバイスを持ち、ロボット三原則という現実に適用できるのか怪しいロジックや仕事を本能として持ちながら過ごすことになれば、高度な記憶力・思考力によって新たな意識が生み出されるのではという話があります。自分が思い出せる範囲ではアトリ、というかYHN型? へ適用できそうな説がそれだけ浮かんでいることもあって、じゃあ結局のところ久作先生はどういうロジックを組み込んだのかというのがとても気になっています。ストーリー上のアトリは、一定以上の記憶量や感情の入力・処理が激しくなると感情の発露につながるというロジックで描かれていましたが、突き詰めていくとその感情らしき例外はどこから来たのか? というのがやや曖昧だったように思っています。ここだけ何だか非常にもったいないような気がしていて、なぜならやはりこれはアトリが感情を得て夏生と向き合ってまた変わっていくというのが、物語の大きな展開のひとつに組み込まれていたからです。アトリの感情を描くのなら、その由来に関しても一定以上の掘り下げがあればより理想的であって、それと同時にSF・トレンドのAIを一歩だけ奥深く描くことで「この題材をちゃんと調べて使ってます」という説得力を持たせられるのでは? と思ったりします。そこは意図的に削られている感がなくもないですが、補完するエピソードほしいな~とか考えたりします。ほしいな~……何か作品の展開が……。

アトリというキャラの造形に関して、感情の発露について思うところは様々ありますが、テクニカルというか入り乱れた手法で様々な属性を叩き込んでいるのはわかります。キャラからストーリー作ったんだろなと思うくらいには見事な自然さです。年上かつ年下の姉かつ妹のおねショタかつ可愛くて家事も出来たり出来なかったりという、たぶん総合してヒューマノイド属性から由来しやすい展開なんだなと考えつつ、しかし何かと鼻につきやすいものではあります。ツイッターを見ていると、絵がうまくて話も描ける人は端的に言って化物なんだなと毎日よく思わされます。それに付随して属性擦りがあまりにも激しいので、なんとなく一周回って現実の人間の方がマシと思うくらいアレな感覚すら抱きがちです。しかしアトリに関しては、それらの由来が過去と現在からしっかり説得力されているので、どれもこれもシナリオ上ではすべて自然なものとして受け入れられました。一人だけのメインヒロインを深めるメリットはこういうとこにもあるんだなと確信しました。

とにもかくにも、アトリ全振りのシナリオはとてもよかったと感じます。巷では尊いという言葉があふれて(もう廃れた感はあります)、本当に尊いことはいったい何なんだとか不用意に使うと逆に軽くなってしまったりしますが、このラストは尊いものだなと自信を持って言いやすいです。想いや時間を喜んだり苦しんだりしつつも重ねて行き、お互いにやるべきことを成し遂げ、最期にたどり着いたのが二人きりで一日きりのエデンならば、それは尊いと言ってもいいんじゃないでしょうか。なるほどな~(?)。






冒頭は孤独なアトリの独白から始まり、終端はアトリと二人きりになった夏生の独白で終わっています。二人それぞれの時間への価値観が対応するように並べられてましたが、これを素直に読めば、この作品は出会った二人が助け合ってどこまでも前向きになれたという話なんだと思います。二人に最も足りなかったのはお互いの存在であるという要素が、夏生の欠けた片足と幻肢痛、アトリが最後まで言い続けた役割への執着として描かれてます。夏生が何もしなくてもロケットは飛んだかもしれませんが、確実に様々なことが次代へ引き継がれています。テーマとしては非常にシンプルでありふれた感じですが、また繰り返しにもなりますが、正統派の方向へ掲げるアニプレエグゼの看板作品としてはベストな話題なのではないでしょうか。ともかく、総合して美しい話でした。割と冷静な書き出し付近では95点とか書きましたが100点です。


絵について



特にキャラデザは懐かしくも新しくという感じで、全体的にとてもきれいでした。瞳がキラキラしてて好きです。100点です。


おわりに



やりきった感があるので、正直なところを書けば「次はサクラノ刻が楽しみです(特に藍ちゃん先生)」とかになるんですが、それはさておき、久々に感想を書き留めておきたくなる作品に出会えたことに感謝です。単純に思わされたことを書き出して整理したくなる作品は強い。関わったスタッフの方々、そして特にアニプレエグゼというブランドの今後の発展を応援しております。がんばれ~。




2020年2月29日

劇場版「SHIROBAKO」感想(ネタバレあり)

 




シネマシティの初日・初回 bst で観ました。
聖地だよ! やったねシネマシティちゃん!
 

 感想


 
涙あり笑いありの2時間でした。終映後は拍手が起こり、こんなふうに拍手が起こったのは去年の7月、大きな事件があった日に最終上映回を迎えていた劇場版ユーフォ以来だなと自然に思い出していました。
 
この映画は、実家のような安心感がある作品でした。TVシリーズ版からは4年という歳月が経過しており、登場人物たちの人間関係や立場もそれぞれ変化していますが、ひとつの大きな目標に向かってみんなが頑張る様子はほぼ同じものだったと感じています。
 
劇場版ならではの苦労話とかあるのかと思いましたがそれもなく、本当にディテールそのものはほとんど変わらないものでした。新しい登場人物も数えるほどしかいません。既に登場していた人物も、4年の間に「ああそうなるんだろうな」「そうなるのか」と思わせられる変化をたどって、しかし変わらず同じように情熱を持って(捕まえられたりして)仕事へ取り組んでいました。

ああ、「SHIROBAKO」はこれでいいんだな~いいんだよな~と強く思いました。三女の二期ではありませんが(野亀先生…)、「伝えたいこと」が物語の作りへしっかり結びついている以上、これ以上何も足さず何も引かないでよいのだなと言いますか。少なからず、自分が終始抱いていた実家のような安心感はとても沁み入るものでした。

 

 実家感


 
冒頭の「これまでのあらすじ」があのような可愛らしい雰囲気で進められた後、いたって普通に走るだけの車中であのOPテーマが流れ出しただけで、何というかもうダメでした。想像していたよりもずっと低空飛行の現実が打ち出されている一方で、いかにも「限界集落過疎娘」らしい懐メロ風を取り入れたサウンドがラジオに乗せられていると、ああこの空気はとても現実的だなと強く感じさせられてしまいました。

自分だけではどうすることも出来ない周囲の環境、社会全体を取り巻いている大きな停滞感と言いますか。過去や現在のどうにもならない問題をつついて喜んでばかりいて、変わりたいとかいいねされたいとか認知されたいとか輝きたいとか、言うのは簡単なことばかりを言って何もしていない・出来ていない感じと言いますか。

停滞してはいるけど、それゆえにやっぱり気楽なので、あの懐かしい感じの音楽はめちゃくちゃ優しいんですよね。何かを変えたいと思ったり、いいねされようと思ったり、輝くために行動を起こすのはアホほど面倒くさいし疲れるんです。一度でも失敗したらダメ人間認定という現代の空気は、簡単にそれをヨシとしてくれないのです。現代だけではなくいつの時代でもそうなのかもわからないですけど。

自分は20代前半ではありますが、それでもあのOP曲にはやたらと郷愁や安心感を誘われました。つらいなら少し休んでもええんやでと語りかけてくるような音作りで、それは良くも悪くも、どこまでも現実的です。過去の記憶に浸っているのを許してくれる優しい雰囲気は、しかし「SHIROBAKO」の物語、それも冒頭部分としては切実な問題点です。考えたくないようなマイナスを抱えた開始地点だと伝えてくるけど、ラジオに乗せられた音楽だけは、どこまでも生暖かい温もりと現実感で包んでくるような……。

この出だしだけでいろいろなことがわかって、「SHIROBAKO」の世界観・温度感がそうであることが何とも言えず嬉しく、涙腺がゆるゆるとしていました。大変な出だしではあるんですけど、あちら側にも自分たちと同じように失敗したり悩んだりする人々がいて、そんなときに慰めてくれる音楽があることを同時に伝えてくるんですね。

今回のお話では、これ以上にしっくり来る冒頭は他にないんじゃないかと思わされます。鑑賞中も鑑賞後も同じ感想です。

ムサニからはいろいろな人がいなくなっていたり、宮森さんの部屋がこれまで以上にぐちゃぐちゃしていたり、順調に出世する絵麻さんはルームシェアでいい部屋に住んでいい食事をしていたり、姉に子供が出来ていたり、宮井さんと出会ったその日に荻窪でものすごい飲み明かし方をしたり、みんなで集まっても相変わらず愚痴大会のままだったり、普通の人がごく普通に抱えていそうなマイナスとか紛らわし方がたくさんあるのが、相変わらずでいいなと思ったり。

個人的に実家というものが存在しないので九割くらい想像ですが……優しかったり大変だったりする日常を感じさせるいろいろな要素は、自分にとっての「実家のような安心感」を程よく想起させてくれました。



そうしてごく自然に引き込まれた後は、もう普段どおりというか王道というか。序盤で主人公+ムサニの動力源たる宮森さんは葛藤に解決があり、そこから全員を巻き込んで作品を完成させていく様子が続きます。

取り立てて捻りはありません。TVシリーズ版にあったものをひとつひとつ大事に回収していって、大いに笑わせたりしんみりさせてくれながら、「SHIROBAKOってこんなアニメだったよね」という安心感を漂わせて最後まで進んでいきました。

そこで語られるものは、変わらず同じものだったように思えています。けどしかし、数年前にまだ学生だった自分と現在のぼんやりした自分とでは、受け取り方・感じ方が大きく異なっているように思えたりしました。


 テーマ うまく行ったり行かなかったり



テーマは至ってシンプルですし、何度も登場人物が口に出して話してくれています。ともすれば説教くさいと言われそうなものですが、このご時世でこのテーマならこれくらいストレートでいいんだよなと感じました。大昔から擦られ続けている話ですし、いまさらカッコつけたり遠回しに言う必要もないんですよね。たぶん。



説教くさいと言えば、社会において物語が持つ役割というのは、自分が生きている二十年ちょっとの間だけでも大きく変化したように思っています。インターネット、スマートフォンの普及が明快な境目ですよね。主人公を通してもうひとつの人生を体感することで、普段は出来ないような体験をもたらすような役割は、年々少しずつ敬遠されるようになってきています。

日常モノとか部活モノとか、焚き火や小動物の24時間配信を眺めるような心地で観るためのアニメが多いです(粗◯乱◯では?)。あるいは特定のテンプレートを活用することで、視聴者側に負担を強いることなくどこかで観たことのある展開を流し込むようなもの。分かたれてはバーチャル配信者のような、作られたキャラクターの容姿をかぶった人間がニコ生をするような雰囲気のやつとか。

物語は清涼剤として活用されることが増えました。アクセスする手段が容易・安価になったことで、単価は安くなり、そこに求められる内容も移ろっていき、さらに不景気から消費者側の時間的余裕が削られていきました。この辺はまあ致し方ないところもあるのかなとは思います。とても悲しい。

最近の大きな変化では、キャラクターという(自分にとっては神聖だった)領域へ生身の人間が(土足で)乗り込んでいき、外形だけ整えられたタレントがゲーム実況したりカラオケしたりするコンテンツが流行っていることです(キャラをキャラとして演じている・演じておらずとも人間性とキャラが噛み合っているのは好き)。あの辺はもう何というか文化侵略……妙なことを言うのはやめておきまして……。

「画面の向こう側はお友達のいる空間」になっているんですよね。自分はどうしてもその価値観を容認できないままで、ブラウン管とか液晶を通して観るものは高尚なものであるべきという考えがあるままというか。文化的価値が高いものだとかそういう高尚さではなく、ただ一本気が通った映像や物語であるかどうかという高尚さです。その点においてはどんな映像でも変わりません。映画でもドラマでもアニメでも、生放送のワイドショーでもバラエティ番組でも、Live2D・3D系の配信者でも同じことです。捧げられている時間や魂の有無はどうしても感じ取ってしまいます。

どうしてもそういった古くさい価値観を捨てきれないのは、それに自分が救われてきたというのがあまりにも明快だからだとは思うので、たぶん仕方のないことではあるんですけども。

作業のお供にアニメを観るなんてことは信じられないのですが、どうもそういう観られ方をするのが最近は普通みたいに感じます。信じられないのですけども……。





今回の「SHIROBAKO」は、印刷ミス疑惑のあるツキノワクマさんであるところのロロが言ったようなテーマが主軸にありました。それは言葉にするだけでは伝わらない、生き方とか信念とか処世術といったものです。何度も語られてきたゆえにシンプルで飽きられやすく、しかし時代を越えて残っている、おそらくは真理に近いであろう哲学だと思います。

それが現国の問題文で出題されそうな「主題」だとすると、ディテール・外形的には、こちらもシンプルに「アニメ・アニメ制作はいいもの」だというところがあります。

付随してくる文脈・テーマとして、アニメが好き、アニメは必要、好きなことを仕事にするとか、本能的に楽しいことをしていたいとか、一人でやるよりみんなでやった方がいいとか、情熱も大事だけど適材適所とか現実との兼ね合わせもあるとか、自信とか覚悟とか、大ベテランでも思い悩んでボロボロになるとか、いろいろあると思います。

それを表現するための、テンポがいいとか小気味いいとか、ともすれば早口で何言ってるかわからなくそうな駆け足の会話・場面展開も健在でした。2時間という尺に収まりきらないたくさんのものがあるんだろうなと感じます。続編どうです?
 
上記のようにいろいろありますが、私的には、丸川元社長が宮森にカレーをご馳走するシーンがどうしてもダメでした(とてもよかったと書きたい)。もらい泣きする方だというのもあるのですが、思い出すだけでもなんかこう……。

今回のお話では、序盤でひたすら空気を澱ませて+現実的さで観客を引き込んで、それよりも長い時間を明るく楽しく元気よくなっていく過程に割いていました。舞茸さんが言ったような「ネガティブな感情も魅力に見えた」というようなところがあると思います。この空気がパッと入れ替わる瞬間というのが、元社長の「宮森さんはどうしてアニメを作っていきたいのか?」という問いかけでした。

元社長が問うたのは、「少し高いところ」から見出した答えよりも先にあるものです。業界で長く働くにつれて、制作進行、制作デスクからもう一歩進んでのラインプロデューサーとして、どうしても生きていかなければいけない自分の人生において、より明確な答えが必要になる瞬間だったのだと思います。

元社長と宮森が共有した、伝えたり伝えられたりした答えというのは、包み隠さず「SHIROBAKO」制作陣のメッセージでもあるのだろうなと思います。TV版でも今回の映画でも表現されているテーマであって、それはおそらく「えくそだす」「三女」「SIVA」でも似たものだったのではないでしょうか。

それを明快な言葉にするのが大事だと言ってくれていることも、丸川元社長さんや宮森さん、引いては「SHIROBAKO」制作陣の方々も、ひとつの壮大なテーマを共有しているということがわかったのはとても嬉しかったんですよね。



過去より未来が大事とか、前向きに頑張れとかクヨクヨしすぎんなというのは、字面だけ見れば誰がどう見ても「そうだね」と言う当たり前のことだと思うんです。当たり前のことなんですけど、それを明確に言葉にするとありえないほど陳腐になってしまうくらい当然のことなんですけども、誰かがそれを伝え続けないと本当にくだらないものになっていってしまう気がするんですよね。

周囲の環境や社会や自分の先行きが暗くなればなるほど、前向きになることや何かを頑張ろうとすることはくだらないことのように思えてきます。「何マジになっちゃってんの?」みたいな言葉は文字列を見ただけでアホほどイラつくのですが、誰かがどこかでマジになっていかないと、多分ゆるやかにダメになっていく一方なんです。ほんとに……。



「歌にすれば照れくさい言葉だって届けられるから」と歌っていたアイドルもいました。それは長く長く愛されているグループのもので、人というのは輝きたいとか変わりたいとか思ってはいるんだと、彼女らが活躍するほど強く信じさせてくれます。

頑張ることはくだらないことじゃないし、真面目に何かに取り組んだり、結果を出そうとしたり、自分の人生について前向きに考えることはくだらないことじゃないんですよね。そう感じさせてくれるものと出会うたび、ああやっぱりそうだよなと思ったり、頑張る女の子が一番可愛いと言ったアニメ監督がいたみたいに、人が惹かれ合う部分というのはそこにあるんじゃないかなと思えるんだよなぁと……。

すべての人がそうあれる訳ではないと思います。けどしかし、少しでもそうあれるような気がするなら、挑戦しておいて損はないんじゃないと伝えられて、感じさせてくれました。しばらくは前向きでいられるような気がしています。



……というふうに文章にしても、文面だけ見るとやっぱり簡単なことなんですよね。優しく言えば小学生でもわかるというか。いい悪いとか好き嫌いを語るのが難しくてリスキーな現代においても、この考え方だけは誰がどう見ても「いいもの」「シンプルなもの」だと思います。

あの大事件があった直後にユーフォの劇場版を観て、それが偶然にも最終上映回で拍手が起こったときから、それでも京アニから新作が出ますし「SHIROBAKO」はきっちり完成しています。何だか当然のことのように世の中は進んでいますが、これはまったくもって普通のことではないと思うんですよね。いくらアニメ制作が仕事・生業と言えど、ウイルスが流行し始めたくらいで大混乱に陥る世間よりは、強度があると言ってもおかしくはないはず。
 
何事もいいことばかりではないです。ふとしたきっかけで人生が丸っきり好転するようなことはありませんし、人生が変わりそうな出会いがあっても、現実の心はすぐには入れ替えられません。積み上げてきたものが大きければ大きいほど変化するのは難しいですし、ほんのささいな嫌なこと・失敗ですべて崩れても何もおかしくありません。

そうした失敗や「ネガティブな感情」も含めて、とても優れたバランス感覚とか裁量で組み立てられているのが、「SHIROBAKO」の本当にいいところだと思います。

いい年をした大人たちがロクに仕事をしておらず、ひたすら釣りをしたり、牢屋(しかし冷静に考えるとなんですかねアレ)から逃げ出したり、奥さんがパートで頑張っているのに拗ねていたり。自分が本当にやりたいこと・やりたかったことを見定める余裕もなく、ただ与えられる仕事を頑張って回さなければいけなかったり。嫌な奴というか世の中の歪みみたいな人物たちも、割とコミカルかつわかりやすく書いていたり……。

TV版から劇場版までの間に自分も成人して、ゆるやかに働き出してから、ミスター変な話野郎とか今回の悪役みたいな輩が世間には本当にいることを知ったりしました。知りとうなかった……。

ただ、1/16人前くらいながら大人になったからこそ、大人が大人でいられるのは法律的な側面だけみたいなのが普通なんだなと思えるようになりました。杉江さんや元社長さんくらいでようやく大人として一人前、あるいはまだ道半ばみたいなものだと感じられています。チャラい沢さんも含められてしまう訳ですし、子供とか大人なんて言葉はちょっと便利すぎですよね。

みんな不器用でうまく行かないのが当たり前。それでも仕事はちゃんとしようとかちょっと真面目に頑張ろうとか、丸川元社長がんから宮森さんが引き継いだような信念を持って努力するのは、やっぱり大事なことなんだなと思わせてくれました。



こんなふうに考えていると、もし最強キャラランキングを組んだら1位は高梨太郎大先生(予定)なのかなと……いや……どうだろう……。かくありたいような、そうでもないような……なんだかんだ付き合い続けてる平岡さんは尊いですね……。

できるだけ楽しく無邪気に生きていたいものです。


 続編ありますよね



TVシリーズ版と同じように「俺たたエンド」だったので、また続編が作れますね。

……ね。

「おしまい」とか「完」とかなかったですし……。
 
……。





「七福神」は、「三女」とか「SIVA」を通して完成させ続けているような気もします。けど、いずれは5人を中核にした作品が作られるような流れとか観てみたいですね。

ですよね。宮森監督とかどうでしょう。宮森社長とか……。



劇場版「SHIROBAKO」は100点でした。大変ありがとうございました。