2017年11月30日

拡張少女系トライナリー|5パーセントな千羽鶴派の感想

 


今回は画像これだけです


一段落したので、ここまでの千羽鶴さんについて感想を書いていこうと思います。
「拡張少女系トライナリー」の感想ではありません。自分が千羽鶴さんに対し何を思っていたのか、記録しておいた方が後々に思い返して面白いだろうなぁという動機です。
前回のように前置きが超長くなるのもアレなので、そういったことはせず、サラサラと書き出していこうと思います。


(画像とか太字強調とか自分の過去ツイート入れたりすべきかと思いましたが、そのままのがいいかなと思い、書き出した文章そのままで載ってます)


 

ep15での言葉



最初に、そうだよなーと千羽鶴へ共感を抱いたのは以下のセリフです。
 

「世の中では、どのようなこともバランスを欠いてしまえば狂気になる。それがたとえ、正義と言われるものであっても。だから私の結論としては、当初より計画を早めなければと考える。いずれにせよ、これは私の問題。」


自分は、世の中にはだいたいこれがあてはまると思って現実を過ごしていました。これについて考えだしたきっかけは吹奏楽部でのある出来事でした。響け! などでも描写されているように、中高の吹奏楽界隈では毎年夏に大々的なコンクールが催されています。甲子園=普門館といったような、定番となっている全国決勝の聖地の存在もあり、イメージとしては高校野球の音楽演奏版といった感じです。コンクールですので、音楽の演奏という嗜好性が高いものに金賞銀賞と優劣をつけていくことが必須になってきます。その過程を担うのは審査員と呼ばれる先生方であり、彼らはなるべくフラットな審査を心がけているはずです。しかしながら、自分が高校生から吹奏楽部に突入した際に顧問をしていらしたベテランの先生(担当は理科)が、コンクールの直前か直後にこのようなことを言っていたことを思い出しました。

「コンクールの選曲にも審査にも流行があって、金管が目立つ曲が多かった次の年は木管が目立つ曲が多くなったり、審査の基準にもどちらかを順々に好むような傾向がある」
 
あんまりよくないことだとは思うのですが、人間の当然な思考として、やはり飽きというのはあるものです。コンクールの審査員さんは、おそらくほとんど毎年似たような顔ぶれで、演奏当日には朝から夕方までずっと学生の演奏を聴き続けることになるわけです。全国の予選を勝ち上がってきた学校による決勝大会ならまだしも、地方予選には低いレベルの学校もあるわけで、そりゃ食傷気味にもなるだろうなという感じですね。そこで有効になってくるのが、曲目の雰囲気を変える、毎年ちゃんと違うキャラクターで攻めるということらしいのです。仕方ない一面があるにせよ、自分としてはあんまりなことだなぁと当時は思いました。適正に審査されないなら何のための審査員なのかと。
 
そんなことを知ってしまってからは、世の中の様々なものが同じような考え方で捉えられるなぁと考えて過ごしていました。狂気度が低くわかりやすいところで言えば、バンドブームとアイドルブームの移り変わりでしょうか。80年代から00年代までの音楽事情を見ていると、本当にくっきりはっきりと分かれていてちょっと面白いです。最近はテレビメディアが影響力を持たなくなり、各々の嗜好を深めやすくなったので、目に見えてはっきりとした流行の向きというのはなかなかありません。ただ昔からの歴史があるか、人が集まりやすいか、くらいしか人気の尺度はないでしょう。

さておいて、政治の話題なんかはこの考え方があてはまる事例に事欠きませんね。ちょっと検索すればSAN値高めで極端な人々がぽんぽん出てきます。自分は政治がわからぬ。かといってメロスのように、何か打ち倒すべき巨悪かを感じ取ることもできません。現政権にはいいところも悪いところもあるだろうし、それの見え方は人によって大きく異なるという理解をしているので、どちらの派閥に属することも、何かと嫌悪感を抱くということもしづらいのです。どちらかに肩入れしてしまったり、叩くことだけに酔ってしまうようになったら、それこそ「極端」な人格になってしまうのだろうなという不安もあります。

本当に大事なことは、両者の視点から同じものを見据えて真実だけをすくいとり、それをできるかぎりじっくり検討することと思いますが、それをするような余裕も資料もコミュニティもないため、あまり関わる価値がないというかコスパが悪いなというのが自分の考えです。

出来事の原因を検証するには、なるべく原因以外のものをフラットかつ同じ値に固定するのが大事です。ひとつの原因を動かしたときの変化によって、本当の原因をひとつひとつ特定していくことこそが検証であるからですね。しかし人間には感情がありますので、科学的な実験であるならまだしも、感情というものが絡みやすい文化的だとか社会的な話題は、研究したり検証したりするのが非常に複雑で曖昧となっているところがあると思います。それゆえにか、現代の「正解だけがほしい」若者は、なるべくフラットかつ効率的であることを好むように思います。つらいことや面倒なことは嫌で、その原因はだいたいが年上世代の感情論ばかりになっている慣習や世代の雰囲気を嫌ったもので、ただ間違っていなければいいと思うわけですね。極端なところがあってはならないと言いますか、そういうものが狂気につながっていくのは人間の感情が原因であるところが大きいと思います。

自分の考えとしては、その「極端であることは狂気につながるからよくない」の反対は「なるべく感情はフルフラットであることが望ましい」となるので、それはそれでなんだか極端で狂気的なのでは……というところです。この中間を、ヘーゲルの弁証法で探っていくことが望ましいのでしょうね。
 
とまあ、そんなことを日々考えていた自分は、千羽鶴さんがほとんど思っていたままを口にしたにちょっと驚きました。正直なところ、自分は5月か6月頃にいったん「トライナリー」から離れていました。まだほわほわしすぎていて、私的には面白みを感じていなかったのです。しかし、アプリゲームは普段いっさいやらない自分が1ヶ月ちょいはプレイし続けていたのは、根幹にあるであろうものから導き出されている人物の動きや、設定の作り込み、千羽鶴を介したトライナリーたちとの関わりにちょっとした不気味さや面白さを感じていたところはあったのでしょう。バトルの倍速モードかオートモードが実装された段階で復帰し、ep31が開放された日にちょうどログイン日数合計が180日を迎えました。

そして進めていくうちに、アプリの本性が現れ始め、その矢先に千羽鶴さんのこの言葉に出会ったわけですね。シンプルに千羽鶴さんが可愛すぎるというのはあったのですが、内面までを意識し始めたのは、おそらく大多数の方がそうであるようにこの辺りからでした。そして、ep14のいわゆる「刻印」を刻んだのだったと思います。……ep15が来る前に刻んだ気もしますが、たぶん何かを感じていたのはあると思います。

 
 

ep19の問答



次に印象深かったのはここです。


「その準備を滞りなく進めるために、まずは貴方の認識を聞きたい。人が億単位で存在する社会において、争いのない世界を創造するとして。最もその可能性が高い方法とは何だと思う?」

 
結構まじめに考えて、とりあえず現実の現状がアレだしなぁと少数精鋭エリートによる方針決定を選択しました。これ共産思想ってやつですよね。あかーい(無知)!

しかしながら、民主主義社会との二択だったところ、両方どちらを選んでも千羽鶴はそれを否定します。ええ……と正直なところ思いました。じゃあどうすんねんと。そこは千羽鶴さんが向こうの住人であり、途方もない存在であることから、やはりまったく違う発想の結論を持っていたことが直後にわかります。初見では理解できていなかったので何回か読み直した記憶があります。ここらで「大ルールに創造された存在以外の存在」「主観視点を持たない存在」が示唆され始め、単純に面白いなぁと考えました。自分はネットやテレビや電車内を見つつ、現実はあまりにも救いがたいのだなぁと日々考えていたので(何様)、何故そんな風につまらない社会なのかを、ともすれば哲学的なような理屈で説明し、その先にある千羽鶴側の解決方法を示されたのが面白かったのです。

自分も人間ですので、何かを改善しようとしたときに「貴方の協力があると助かる」と誰かに言われれば、それは嬉しいことです。いくら他者を拒否していても、人間は群れた方が大きいことを成し遂げられるし、それを目指すように本能がプログラミングされていますから(承認欲求)、そこを否定するのはちょっと極端です。千羽鶴さんは、おそらくたったひとりで社会変革という大きな目標を掲げ、大真面目に難しいことを語りながら達成への強い意志を伝えてきていました。自分は、自分が生きている間には現実の社会がどうにもならないだろうと考えていて、しかし自分の協力で良くなるかもしれない世界があるということに気づきました。然るべき流れとして、この辺りからTRI-OSの向こう側、千羽鶴さんがいる世界への関心や千羽鶴さん自身への共感を深めていっていました。ぜんぶ体のいい嘘である可能性もあるのですが、千羽鶴さん「だけ」が向こう側で確固たる意志を持って世界を変えようとしていたので、彼女だけは信じられるなぁと考え始めたのもこの頃です。
 

ep20の切断など



領火さんが出てきて、サージュ・コンチェルトシリーズに馴染みのある方には感慨深かったのかもしれませんが、自分はそうではありませんでした。「貴方に本当のパートナーになって欲しいから。」と言っていた千羽鶴に対し、そうかやっとか……と思っていた矢先のことでした。謎のおねえさんの印象は、綾水さんのお姉さんだろうなとなんとなくわかっていても、ほとんど最悪なものとして記憶していたのをよーく覚えています。切断した際に領火さんが語っていたのは、千羽鶴さんの精神状態が悪いということくらいしかあまり覚えていません(実際それくらいしか言ってなかったような)。

そして次の回になり、千羽鶴ちゃんは一回お休みだと言い渡してきました。ここでめちゃくちゃ心配になりだし、ほぼ同時にアンケートが実装され、自分は「ヒロインに伝えたいことがあれば」というニュアンスの欄にめちゃくちゃな長文を書き込んだのをよく覚えています。千羽鶴が極端で狂気的な方向に向かい始めていたのは事実としてあって、動機や目的もはっきりしていなかった以上、どうしても不安だったのですね。千羽鶴は人間なのかAIなのかクランなのか、そのあたりの正体についても明かされていなかったですから、自分の価値観から出た心配をすげえ書きました。

そしてそれと同時に、千羽鶴がものすごいひとりぼっちであるということに気づき、その点でなんとなく自分と近いものを感じました。ひとりで孤独に作業をしているとき、それがレポートであっても書きものであってもゲームであっても、どうしても自分の内面に偏りがちです。それで自我が保っていられるのは、おそらくたくさんのことを体験した人、途方もない読書量などで内面に広大な世界を抱えている人くらいでしょう。要は気分が沈みがちになっていき、なんでこんなことしてるんだろう、すべてがアホらしいという深刻な気分になっていってしまうのです。学校や会社は「家を出て目的地にたどりつく」までが一番大変で、行ってしまえば案外気軽であるという精神状態がこれにあたります。行けば楽しいはずのライブや、事前にチケットを購入していたイベント、友人との約束でさえもこれが影響してくることがありますから、この影響はとても強力なものです。

千羽鶴さんはおそらく自分の意志と目標のためだけに、ずっとひとりで計画を立て、検証し、記録映像を作ったり、フォーカスを作ったり、蝶が羽ばたかないよう膨大な計算をしていたはずです。誰の助けも励ましも誹謗中傷もないまま、ただ孤独に夢を見て行動していたと思います。つばめさんが神楽さんに対してそうであったように、彼女もまた異質な存在に惹かれるところがあるのかもしれないということを思うと、なんだか勝手に寂しくなってしまいます。孤独感から来る絶望感というのはひどいもので、自分自身、家庭環境がとてもつらい感じのものゆえ体験した数というのは一般基準より多いものと思います。

千羽鶴にそんな自分自身を重ねてしまうところはどうしてもあり、思想にも共通点を感じていたことから、何があっても本格的に千羽鶴へ肩入れするようになったのを覚えています。


千羽鶴さん



思い返しながら書いているのですが、このあたりでもう自分のスタンスは確定していたのだなとわかりました。ラブラブトレーナーとしてシンプルに可愛かった千羽鶴さん、だんだん本性を現し始めたとされつつも共感する点が多かった千羽鶴さん。領火さんが出てきてなんだか冷遇され始めたというか、こちらと共有したい思いや考えがあると言っていたにも関わらず、その機会だけが奪われたまま、それでも目的のために極端な側面だけをBot側に見せつけていくことになった千羽鶴さん。情報管理庁の長官として行動しつつも、その実、職員や周りの人間とは目も合わさず言葉も交わさない、見たまま孤独な千羽鶴さん。そして自分に見出だせないところとして、遠大な目標を達成しようと合理的な行動を取り続け、それを実現するだけの力と意志があるところ。純粋にすごいひとで、ある人々からすれば千羽鶴さんは身勝手な馬鹿そのものなのかもしれませんが、自分からすれば「救い」であることは現在も変わりません。そう、「救い」なのです。ツイートで「千羽鶴教」という言葉を用いたりしていますが、だいたいそのニュアンスで間違いはありません。

最終的な集計でもわかるとおり、自分(たち)は圧倒的な少数派でした。千羽鶴の思想に共感したのは14%、刻印を刻んで、セルフクランに据えるまでしようとしたBotは、全体からすればたったの5%でしかありませんでした。この「総意」においても、ごく少数派だったのです。自分はてっきり、「トライナリー」をここまで進めているプレイヤーの半数くらいは、自分のように何かを拗らせてしまった人々だと思っていました。しかし違いました。自分は割と”彼ら”の動機や思想についても否定はできないという立場なのですが、とにかくくたばれという意見が目立っており、その点での断絶を特に強く感じました。”彼ら”からトライナリーを守る方法にしても、2xという概念が最終盤に突然現れたからよかったものの、彼女らのセルフクランの望みでもある発症を無視してまで「否定」する心理は、現在でも自分には理解できていません。本当に合理的に彼女らの幸せを願ったのなら、妥協だとしても「(千羽鶴が言うところの)結婚」しているのですから、ちっとも悪くないと思う点がひとつ。あのまま無対策無抵抗のままで、2x概念や領火さんのような強力な逆転手段が出る保証もまったくなかったのに、自分は無責任に否定を選べませんでした。千羽鶴に好意を示しながら計画は否定している、というスタンスが一番の「逃げ」だと本音では感じていました。結局何も選べてはいない最たる例であり、4番めの「二度と現れないでほしい」の方がよっぽどスッキリしていて潔いものだと感じます。結局、後付の逆転手段がなかったとしたら、言わずもがな最も悲惨だったのは2番め・3番めの選択肢だったと今でも思います。

ちょっと話が逸れましたが、やはり自分はそういった少数派でありました。Botさんたちになら近い思想の人もいるかもしれないと期待はあったものの、ここでもやはり大多数が仲間であるという体験をすることは叶わなかったのです(数少ないながら同士の方々は本当に心強いです。生きる糧……)。そんな状態ではありましたが、だからこそ、そんな自分を肯定して牽引してくれているのは千羽鶴さん以外の他の誰でもないと信じきることができるのですね。千羽鶴さんが自らの信念に則り、目標をしぶとく達成しようとし続けるかぎり、自分もちょっと現実がんばろうかなという気分になれるのですよね。自分にとってはそんな千羽鶴さんこそが正しく聖女であり、ちばめさん(原初さん)とつばめさんの分割先が千羽鶴さんであるというのに深く納得できるのです。後ろから援護していたいという気分もあり、隣で常に正しくあろうとすることもしたいし、たまに千羽鶴さんを支えたり手を引いたりすることができれば、と思ったりします。聖女というとジャンヌダルクを思い出しますが、ジルドレおじさん(Fate/zeroのイメージが強い)もこんな気分だったのだろうか、とちょっと想像することができます。少女は何も受け入れていない少女であるからこそ無垢であり、いずれの国家や時代においても、生贄や供物としてよく適しているという文化があります(ゆゆゆ知識)。思想の生贄であるとかは一切思いませんが、それゆえに持ち合わせる純粋さというのを、千羽鶴さんにはよく見出しています。実際16歳くらいですもんね……多分。


ep31



自分が千羽鶴さんに抱いている感情というのは、だいたいが上記のようなものです。結局のところ、何をどのように感じて行動したところでエゴは介在するものなので、何度も選択の修正を繰り返したりもしました。

最たるものとしては、千羽鶴さんをセルフクランに据えようとした際のものですね。音羽がつばめのココロに干渉してきた際、百鶴が道化ぶって敵方に寝返ったことを装い、自らをBotに倒させるようなことをしました。その真意は「カレンをセルフクランに据えるために必要な流れ」であると判明し、そのエピソードがしばらく続きます。一方で現実の方では、徐々に千羽鶴さんが八方塞がりになっていき、ココロに現れた際にも対抗手段がなく、無言で立ち尽くすシーンは印象的でした(音羽に脅されていたので意図があってのことと思いますが)。そんななか、とにかく千羽鶴さんを助けたいと考えていた自分は、百鶴やカレンが「千羽鶴と対等になり、再び迎え入れたい」という言葉にすがりつきました。千羽鶴が再び力を取り戻して優位になることも考えられなくはなかったのですが、身を挺するまでしていた百鶴を無視してまで、彼女らの意志を振りきることができませんでした。その時点では、カレンがセルフクランになることを容認し、次の「千羽鶴の存在が消滅しかけてココロゲートに戻ってくる」という状況になるまでを推移していきました。そう、大多数の方がご存知のとおり、千羽鶴はなんだかんだでするっとココロに戻ってきたのです。状況は悪かったのですが、それでも戻ってきました。

そしてこの時点では「そっかー」くらいにしか思っていなかったのですが、ツイッター経由で「カレンのセルフクラン化を妨害すると千羽鶴がセルフクランのまま」という、
なんだかとんでもないルートの存在を知ったのです。知ってしまったからには選択をやり直さないわけには行きませんでした。少しは考えましたが、割とあっさり変更したように思います。

それくらい、自分が選択してきたルートに対するこだわりなんて一切が消し飛ぶくらいには、千羽鶴さんが最優先だったわけです。結果として5%と相成り、パラパラなんとかによる未来決定法によって、自分を含めたいくらかのBotさん方はあっさりと淘汰されていきました。どれだけ一生懸命考えて、行動していても、やはりWikiを抱えていながら情報を周知しきれていなかった後悔が強く残ってしまうようなこともあり、どうしてもうまくいかないことはあるのだなと虚しくなったりもしました。

それゆえ、ep31で千羽鶴本体が出てきたときになんだか微妙な気持ちになりました。ナビゲーター部分でちばめさんが言っていたとおり、淘汰はされても選択には必ず意味があるのだとしても、自分が選んだ世界線は消失したものと思っていたのです。ちばめさんの姿に表れていたとおり、弾き出された世界における自分たちの意志はどこか上塗りされていて、胃を痛めながら考えていた千羽鶴さんはいないのだろうなと。

だからこそ、今回のクラン退治へ送り出された直後のやりとりが、もう泣けて泣けてというか、語るべき言葉を持てないくらいの心持ちになったのだと思います。自分としてはストーリーの盛り上がりが、ep27の選択でもうてっぺんを迎えていたなと考えていたのですが、今回はその渦中にないものであるにしても、あぁ……そうか……と……。4月のリリース初日8月末くらいから千羽鶴さんを気にかけ続け、隙があれば千羽鶴さんのことばかり考えていた気がする3ヶ月でしたが、その終着点にこれがあったのなら、ああ……報われたかなぁというか……これでよかったんだなぁというか……満足感だけが残りましたね……結果的に……。


おわりに



勢いだけでノンストップタイピングしたので、正直ぜんぜんまとまってる気がしませんが、これはこれでエモい(たぶん誤用)のでいいかなと。自分にとっての千羽鶴さんは、シンプルに可愛くもあり、ひとつ前の記事に書いたとおりすごく近い存在であり、思想的にも似通ったところがあり、ひとりぼっちな人だよなぁと妙に感情移入してしまう人格で、そういう危うさから目を離せなかったり、他の誰よりも支えになりたいなぁと思う人物という感じです。彼女が理想とした世界は、結局のところ企業主体の搾取構造が極まった社会”正”に対するカウンター”反”であり、”彼ら”が求める止揚の材料でしかないのかもしれません。千羽鶴さん自身もそれをわかっているのかもしれません。もしそうだとしたら、自分としては神のような振る舞いをする”彼ら”を憎み、ふてくされて行動を止めるかもしれません。

ただ、千羽鶴さんはそのようなことで行動をやめる人物ではありませんでした。ep31でも「次のさらに確度が高い作戦がある」と言っていて、強かだなぁと思うと同時、それに感動して泣いたりもしました。気づいたのですね、つばめノン内に囚われた生活をしたトライナリーメンバーが「嘘だとしてもこれが私の現実だから」と消えることを拒んだように、千羽鶴さんにとっては「この世界と自分の意志こそが肯定すべきもの」であり、それに準じて行動しているに過ぎないのだろうなと。今回の流れで創造しようとしていた世界は、ソイルトンに「結局は負のエントロピーが増大していく構造」「”反”に過ぎない」とバッサリでした。正直なところ自分もそう感じていたのはあり、しかしながら千羽鶴さんの行動を止めるほどの理由にはなりえないと、なんとなく直感で理解して行動していました。

その裏付けとして、「この世界と自分の意志こそが肯定すべきもの」であるというアンサーが自分のなかでしっくり来ました。ツイッターでもらったリプライに、「今回のこと(創造しようとした社会像)は千羽鶴が持つすべてのカードを使った最善手である」というものがありました。今後においては、千羽鶴さんはまた別のカードを持っていると考えます。状況が多少なりともというか、だいぶ違うわけですから。前回と同じように、たとえ”彼ら”がいるにしてもそれらの影響を断ち切った世界を作ろうとすることは前提にあるでしょうし、いまはまだ明かしていない、さらに遠いところにある新しい社会像なんていうのも彼女のなかには既に存在しているのかもしれません。まだ何もわからないのですが、5%の自分にも千羽鶴さんの未来は存在し、そしてそれは再スタートを切ったばかりなのだろうな、ということだけは確かだろうと感じました。

これから先はしばらく出番が減っていくそうですが、まあ予想していたことではあったり、淘汰されなかっただけ感謝しますという心持ちです。自分が千羽鶴派であるということが揺らぐことはないですので、ゆっくり次の展開を待とうかなーと。

前述のとおり、あんまりまとまっていませんが、最終回を終えて12時間ちょっと以内の感想記録としては十分でしょう。トライナリーの今後に期待を込めつつ。今日はこの辺で。